博士号取得者インタビュー
2023(令和5)年度 博士号取得支援助成金授与
2026年3月 名古屋大学博士号(数理学)取得
加藤 康一さん (取得時77歳)
放送大学 全科履修生
【論文テーマ】
トポロジカル・クリスタル上の周期的作用素のスペクトル特性

国語教師から数学の研究者へ。好奇心が導いた博士号までの道のり
「数学には、疑問を持ち、よく考え、分かり、できるようになるということ自体の楽しさがあります。また、数学は、長い歴史と世界的な広がりによって築かれ、発展を続けている文化の一つです。それを学び、参加し、伝えることの喜びがあります。数学はあらゆる科学の基礎となっています。数学を学ぶことで、科学の話題も理解しやすくなります。さらに、博士論文執筆で経験したことは、既にある数学を学ぶだけでなく、独自性のある新しい数学を創り出すことでした。数学の研究には、創造する喜びもあります。専門用語を恐れず少し我慢していると面白くなります。」
加藤さんのその言葉を信じて読み進めてほしい。
数学の力で解き明かす、規則的な図形の不思議
研究の出発点は、点と線で物同士のつながりを表す「グラフ理論」の一種、「トポロジカル・クリスタル(結晶格子)」にある。同じ形の図形が規則正しく並ぶ様子を想像してほしい。たとえば六角形が蜂の巣のように並ぶイメージだ。加藤さんらは、この分野の代表的研究者・砂田利一氏の理論に学びながら、研究を深めていった。
周期的グラフとは
周期的グラフとは、同じ形やつながり方が、規則正しく繰り返されるグラフのこと。
こうした規則性を持つグラフを数式で捉え、そこからどのような数値が現れるのかを調べた。具体的には、グラフの特徴を数式で表す「作用素(関数を別の関数に変えるルールのこと)」を使い、得られる数値の集まりである「スペクトル」を分析したのだ。スペクトルとは、グラフの性質を知る手がかりとなる数値の集まりだ。
研究対象の一つは、複数の多角形が規則的に組み合わさった「アルキメデス格子」だ。アルキメデス格子は11種類ある。分析の結果、値が一定になり、図にすると平らに見える「フラットバンド」が現れるのは、「カゴメ格子」と「スーパーカゴメ格子」の2種類だけであることを確認した。これまで十分に行われていなかった計算を行い、数式や公式を示したことが研究成果の一つだ。
ディラックコーンとフラットバンド
リープ格子上のラプラス作用素の固有値が作る曲面
ディラックコーン:固有値の曲面がある点で円錐形となる。(左)
フラットバンド:領域全体で固有値が一定になる。(黄色の平面)
フラットバンドとは、電子のエネルギーが、運動量(電子の動きに関係する量)によらず、ほぼ一定になっている状態のこと。
研究で目指したのは、グラフ理論と関数解析学という異なる数学分野を組み合わせ、新たな発見につなげることだった。一方、物質の構造をグラフとして捉え、スペクトルから性質を探る研究は、材料科学とも関係している。フラットバンドは物質の特別な性質と結びつく場合もあり、今回の研究が、将来新しい材料の研究などに発展する可能性もある。
興味を追った先に、数学との魅力的な再会があった
「もともと科学には関心がありました。私たちの世代は、人類が初めて宇宙を飛行し、コンピュータの発達と普及が進むなど、科学の進歩が著しい中で成長しました。科学はすばらしいものだという気持ちは、子どものころから持っていたんです。」しかし、高校での進路指導や就職の選択をする中で高校の国語教師という道に進んでいた。そんな加藤さんが再び数学に近づくきっかけとなったのは、心理学への興味だった。国語教師として6年間働いた後、国語の能力や教育を科学的に理解したいと考えて教師を退職し、大学院で心理学を学んだ。心理学では人間の行動を数学的に分析することがあり、統計学や数学に関心が広がっていった。
その後、高校の国語教師に復職したが、数学を学びたいという気持ちは一層強まり、30代後半から大学の夜間部に通い、改めて学び始めることになる。そこで出会った先生からは、30年以上指導を受けたという。そして高校教師を定年退職し、名古屋大学理学部科目等履修生を経て、2019年には大学院の多元数理科学研究科へと進んだ。
「国語教師としての経験も、数学に取り組む上で大いに役立っています。文章を理解することは論理がわかること。文章を書くというのは抽象的な概念の中で論理を組み立てていくこと。しっかり読んで、理解して、人に伝える言語的な思考力、想像力、取り組む態度など、高校の国語と数学研究には共通したものがあるのです。」
先生や仲間との出会い、そして家族への感謝
大学で数学を学び直すなかで、加藤さんの成長を支えたのが、先生や仲間との出会いだった。特に大きな影響を受けたのが、名古屋大学のセルジュ・リシャール(Serge Richard)教授。「英語で数学を教える教授の授業に参加し、新たな学びの機会を得ました。授業前から学生一人ひとりに声をかける姿も印象的で、数学の知識だけでなく、学生に寄り添う人柄も勉強になっています。」
77歳で博士号を取得した加藤さんだが、学びへの意欲は衰えない。「博士号はゴールではありません。これからも教授や仲間から学び、新しい発見を追い求めていきたい。学び続けることで、まだ見ぬ世界が開けると思います。」2026年4月からは放送大学の全科履修生として、物理学や化学の勉強を始めた。現在は、リシャール教授からオンラインで群論と表現論の講義を受けている。群論は、モノの対称性や操作の組み合わせに潜む構造を研究する数学の一分野である。夜間大学に通い始めたころから、数学を学ぶ仲間との勉強会を立ち上げ、それは今でも継続している。仲間と刺激し合い、指導を受けながら数学への理解を深めてきた。
加藤さんは家族への感謝をこう語る。「妻には長年、勉強を続ける上で支えてもらいました。娘も家庭を持ちながら博士号の取得を目指しています。親子で励まし合って、学び続けられるのはうれしいですね。」当財団で行われた支援事業の授与式に、親子3人で仲良く出席された姿からもその思いが伝わった。年齢にかかわらず学問を追究する姿からは、学び続けることの大切さが伝わってくる。
加藤さんが次に目指すのは、これまで研究してきた二次元のグラフを三次元へと広げること。「数学は、長い歴史と世界的な広がりによって築かれ、発展を続けていく文化の1つです。博士号を取得しても、数学にはまだ知らないことがたくさんあります。これからも新しい発見を求めて、研究を続けていきたいですね。」

