博士号取得者インタビュー

2022(令和4)年度 博士号取得支援助成金授与

2023年3月 国際医療福祉大学博士号(臨床心理学)取得

平岡 さゆりさん (取得時53歳)

帝京大学医学部附属病院臨床遺伝診療センター/認定遺伝カウンセラー
佐々木研究所附属杏雲堂病院 遺伝子診療科/認定遺伝カウンセラー

【論文テーマ】

遺伝性腫瘍とともに生きる患者とその家族の疾患受容プロセスと支援に関する質的研究

平岡 さゆりさん
50歳以上という財団の支援制度に励まされ、2回目の応募で合格し自信にもなったという。

“がん”と“遺伝”、二重の苦しみを持つ患者の心を支えるために

元高校教師・平岡さゆりさんの挑戦

「遺伝性腫瘍」は、がん患者全体の5〜10%と割合こそ少ないものの、若年で発症することが多く、複数のがんを併発しやすい。しかも病名のとおり、親から子へ約50%の確率で遺伝するため、本人や家族の人生に深く影響を及ぼす病気だ。進学や就職、結婚、子をもつことなど、将来設計に不安を抱える人も少なくない。2013年に世界的映画俳優が予防的乳腺切除を行ったことで話題となったが、日々葛藤を抱えて生きる当事者の心理や、それを支えるための専門的支援の必要性は、十分に認知されてはいない。

平岡さんは、高校の生物の教員として教壇に立っていた。50歳を迎え、自分が「さらにやりたいこと」と向き合い、かつて志した医療の道に進むことを選び、挑戦が始まった。2018年に大学院に入学し、修士課程で遺伝カウンセリングを学び、遺伝カウンセラーの認定資格も取得した。そこで出会ったのが家族性大腸腺腫症(FAP)と、その患者たちの苦しみだった。

医療ではケアしきれない心の問題、家族の葛藤、人生の選択に関わる心理的支援を探求することが、平岡さんの研究継続の目的だった。そのため、東京大学から移ってこられた家族心理学の著名な教授のもとで学びたいと、博士課程に進むのだが、臨床心理学は遺伝カウンセリングとは似たようで畑違いの分野だった。「医療系の人は初めて、学部で心理学をやってない人も初めて」とのことだったが、熱意が認められ教授は受け入れてくれた。「必ず3年で学位を取得する」と決意した。

苦悩の共有からピアサポートへの変化

博士課程での研究は、遺伝性腫瘍患者をサポートするNPO法人の協力を得て、FAPの当事者Aさん(40代)とその家族(母親と妻)へのインタビューを中心に進めた。遺伝性腫瘍のなかでもFAPは、100%に近い確率で大腸がんを発症する遺伝性疾患だ。AさんはFAP患者でありながら、いまは患者のピアサポートにあたっている。病気の診断から手術、就職、恋愛や結婚といった人生の節目における、Aさんの心の動きに耳を傾け、ライフストーリー法と独自のナラティブチャート技法を用いて、心理的プロセスを可視化していった。(図参照)

平岡さゆり博論A氏のナラティブ・ストーリーチャート(NSC)
家族性大腸腺腫症患者Aさんに起きた事象と心理面の変容

語られる内容は多岐にわたり、治療選択に伴う強い葛藤や、遺伝することでの家族への罪悪感など、個人の深層心理に関わるものも多かった。注目したのは、Aさんが、ゴールの見えない孤独な戦いの日々から、苦しみを共有できる人とのつながりを得て、他の患者のピアサポートを始めるまでに至った過程だった。自身の経験を他者に伝えることで「社会と再接続する」動きは、単なる個人の回復にとどまらず、患者支援のあり方に通じる視点を提供した。また、医療者との関係において、情報の伝え方・受け取り方における不均衡も浮かび上がってきた。こうした声を丁寧に拾い上げ、図式化・分析することで、医療の質を高めることにもつながると考えた。

がんばっている教え子たちを励みに

博士課程は修士課程とは比べ物にならないと言われる論文評価の厳しさがある。しかも心理学のバックグラウンドがない平岡さんの、その道は平坦ではなかった。理論の理解、論文の構成、専門用語の壁。研究方法や学術的な議論の進め方に戸惑い、教授の話がわからなくて涙する日もあった。年齢的なギャップを感じて、なぜここまでしてやらねばいけないのかと自問もした。孤独やプレッシャーから、気がつけば円形脱毛ができていた。それでも、「3年で学位を取得する」という自らへの約束を胸に、研究と論文執筆に全力で取り組んだ。

子育てが一段落したタイミングだったとはいえ、家族には家事などの面でだいぶ迷惑をかけた。それでも、大学受験の娘が母の挑戦を励みにしてくれたり、頑張る姿を応援してくれたりと、前向きにとらえてくれていた。

もう一つ支えとなったのが、論文執筆中にずっと傍らに置いていた、高校で担任を務めた教え子たちの卒業アルバム。求められた寄せ書きに「子育てが終わったら大学院に行って遺伝カウンセラーになる」と記した自分の夢。それを実現し、次の博士号取得を目指している姿を、それぞれの人生をがんばる生徒たちに重ねた。生徒たちが30歳になったら、クラス会を開いて自分を呼んでくれるそうだ。そのときにこう言いたい。

「私ができたのだから、若いあなたたちは何でもできるよ!」

博士号取得に挑戦する方へのアドバイス

博士号取得後は、認定遺伝カウンセラーとして複数の医療機関患者と家族のケアにあたる。たとえば、ご夫婦への出生前検査の説明とカウンセリング。医療情報を提供して、納得していただいて、後悔の少ない納得のいく選択を一緒に考える姿勢で向き合っている。心理的支援の専門家として、病気だけではなく「人と人との関係」に目を向けたカウンセリングを行い、治療だけでは届かない部分に寄り添うことを大切にしている。

「博士号は勲章ではありません。しかし、自身の人生にとっては何ものにも代えがたい意味を持ちました。多くの困難を乗り越えることで、折れない自信、強さ、ポジティブさを得ました。また、博士号取得をきっかけに得難い仕事も経験しました。遺伝カウンセラーと並行して勤務していた国立の科学館である日本科学未来館では、企画や展示を担う生命科学の専門領域担当にも採用されたのです。人生が長くなり、何にでもチャレンジできます。博士号取得は簡単ではないですが、やる価値はあると感じます」

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