4. 漆芸 吉野貴将氏

日本の技

インタビュー4 漆芸 吉野貴将氏インタビュー 4
漆芸 吉野貴将氏

漆の偶像作りで文化の継承に貢献漆の偶像作りで文化の継承に貢献

日本を代表する伝統工芸である漆芸。吉野貴将氏はその高い技術を受け継ぎつつ、器ではなく「偶像」制作を通してメッセージを発している。

聞き手上野由美子

 〜森〜 (cosmos)(2007年)/カイサーオ (子供を宿した雌鶏)(2009年)
坂和 清氏
1976年
東京都生まれ
2008年
東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻
工芸研究領域漆芸分野修了 学位博士号(美術)取得
2008~2011年
東京藝術大学美術学部工芸科工芸基礎研究室教育研究助手
現在
日本文化財漆協会理事、(社)現代工芸美術家協会会友
〈受賞歴〉
2002年
原田賞(東京藝術大学奨学金)
2003年
杜賞(東京藝術大学美術学部杜の会)
2005年
日本漆工奨学賞(社)日本漆工協会
2008年
野村美術賞(財)野村国際文化財団
2011年
現代工芸新人賞(第50回記念現代工芸美術展)

ホームページ:http://takamasayoshino.jimdo.com

心象風景としての人形に感動

――人形を作り始めたきっかけは。

 ある人形作家の作品に出会ったことです。昭和初期の貧しい子供たちの心象風景を人形として作品にしており、デパートで開催された展示会で見た時、その人形には人を魅了する何かがありました。私もこうした作品を生み出したいと、その時、強く思ったのを覚えています。見よう見まねで人形を作るうちに、幼少期にあったいじめの経験や、人の顔色を窺い気を遣っていた頃に養われた感性と、人形を作るという表現行為が結びつき、作ることで気分が晴れて楽しくなることに気付いたのです。私の人形作りの原点は、ここにある気がしています。

偶像に託す命への感謝とその輝き

友禅染め 坂和 清氏

〜成〜(カイローン)(2003年)

――現在の作品に込めたメッセージは何ですか。

 東京藝術大学で学んでいる時期に、約1か月かけて中国からチベットを旅しました。ある日の昼食後、食堂の裏庭で鶏やうさぎが入れられた小さな檻に目が止りました。食用となる運命にありながら、懸命に餌をついばむ鶏たちの眼は、ひたすらに生きようとする命の輝きで満ち溢れているように見えました。私たち人間の命は、彼らの犠牲の上に成り立っていますが、はたしてどれだけの人間がその事実を認識し、感謝をして食事をしているでしょうか。眼の前の鶏と私も、同じ命で繋がっていると認識した瞬間、懸命に生きる鶏たちの姿に畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。
 この命を慈しむ気持ちの大切さを気付かせてくれた、鶏たちへの感謝の気持ちを作品として表現したいと思い、その思いを形にした作品が『〜成〜(カイローン)』です。ここから私の人形作り=偶像表現が本格的にスタートしました。あらゆる命の中には多くの感動や学びがあります。私はそれらの一つひとつを、漆芸の技術を通して紡ぎ出していきたいと感じたのです。
 私が自らの人形作品を「偶像」と呼ぶのは、その言葉の持つ“憧れや崇拝の対象”という意味が、日常の中にある命の存在に気付き、心を傾けてくれるよう訴えかける人形の役割とマッチしていると感じるからです。人、動物、植物、あらゆる命を観察するうちに、私の心に湧き出る感動や心象を偶像として表現したくなります。

小学校で染めの講座も担当

ダルマ(2009年)

ダルマ(2009年)

――なぜ漆を選ばれたのか、そしてその特質や技術を作品制作にどのように活かしているのですか。

 東京藝大で漆を学んだ時、漆という天然素材に人間の手業を積み重ねていくことで、見たこともないツヤや神秘的な表現ができることに感動しました。同時に、漆の魅力を自分の偶像表現に生かせば、他の素材では絶対に真似できない、新しい偶像の姿を創造できると確信したのです。また、漆は木の樹皮に大きなキズを何本もつけ、一滴一滴とにじみ出る樹液をすくい取って採取されます。自然が育んだ命そのものである漆は、一滴として無駄にできない尊いものです。その点でも、私の作品テーマを形作る素材として最適だと思っています。
 技術的には、脱活乾漆という、漆で中が空洞の像を作る伝統技術を応用しています。古くは奈良興福寺の阿修羅像に代表される仏像制作に使われた技法で、軽くて丈夫なのが利点です(木材のように割れなどの経年変化が無い)。粘土で原型を制作した後に石膏で型取りをします。その後、石膏雌型の内側に様々な漆下地の行程を積み重ね、さらに糊漆で麻布を貼り付け、布地を漆下地で埋め、表面を均一に研いでいきます。この行程を何度も繰り返し、像の厚みを増し強度を持たせます。2〜4㎜の厚みがでたところで石膏雌型から取り外し、パーツを貼り合わせて空洞の像を成形。その後、像の表面に漆下地、研ぎ、漆塗り(下塗り、研ぎ、中塗り、研ぎ、上塗りと何度も塗り重ねる)を繰り返して完成となります。

石膏雌型から像を取り出す作業
石膏雌型から像を取り出す作業
繊細さを要求される蒔絵の作業
繊細さを要求される蒔絵の作業

 蒔絵の技術も使います。蒔絵の絵柄を漆で描き、そこに金粉を蒔きつけていきます。硬化後、上から漆を塗り込み、炭研ぎで金粉を研ぎ出します。蒔絵は、微細な金粉を包み込む、漆の強力な接着力があるからこそ発展した伝統技法です。漆黒に映える金地の輝きには、神秘的な魅力があります。これも私の作品の大切な要素です。また、漆は独特の粘り気があり、専用の筆 や刷毛でしか美しく塗る事はできません。用途に合わせて道具を選別し、塗る時もどこに支点を置いて刷毛を回して塗るかがポイントになります。道具の選び方や使い方も、漆芸家として最も気を使う要素の一つです。

――現在、日本における漆の置かれている立場についてどう思われますか。

 海外に認められた素晴らしい文化でありながら、国内での認知度は低いと感じます。漆の魅力と価値、その表現の可能性を多くの人に知っていただき、漆の文化継承に貢献したいと思っています。活動の一環として、海外での作品発表や日本橋三越本店での個展、また能舞台における、漆を使った能面制作なども予定しています。

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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3. 硯(すずり)制作 雨宮弥太郎氏

日本の技

インタビューインタビュー3 硯(すずり)制作 雨宮弥太郎氏インタビュー 3
硯(すずり)制作 雨宮弥太郎氏

現代の造形として大きな可能性を持つ硯現代の造形として大きな可能性を持つ硯

雨宮弥太郎氏は、元禄3年(1690年)から続く雨端硯本舗の13代目。伝統と和の感性を踏まえながらも、斬新なイメージの硯を提案し、工芸展等で高い評価を得ている。

聞き手上野由美子

悠想硯(2012年作)
硯(すずり)制作 雨宮弥太郎氏
雨宮弥太郎氏
1961年
甲斐雨端硯本舗の13代目として山梨県に生まれる
1985年
東京藝術大学彫刻科卒業
1989年
東京藝術大学大学院修了(彫刻・美術教育)
1990年
第37回日本伝統工芸展初出品初入選(以後継続出品)
2004年
第44回日本伝統工芸新作展にて東日本支部長賞受賞
2005年
日本橋三越本店にて個展(08年、11年、14年にも開催)
2006年
第53回日本伝統工芸展にて新人賞受賞
2007年
第27回伝統文化ポーラ賞奨励賞受賞
2012年
第52回東日本伝統工芸展にて日本工芸会賞受賞
2013年
Exhibition“Contemporary KOGEI Styles in Japan”出品
(米国フロリダ州森上博物館)
2014年
日本伝統工芸展60回記念「工芸からKOGEIへ」展出品

家を継ぐ形でこの道に

――自然な流れでこの道に進まれたのですか。

 はい。毎日父の仕事を見て、職人も大勢いるところで育ったので、自然にものづくりに興味を抱き、芸大の彫刻科を目指しました。硯でも彫刻でもイメージを形にするという点では同じで、家を継ぐという意識もないくらいあたりまえに硯作りに関わってきました。

――いつから斬新な硯を作り始めたのですか。

 5、6年前から、シャープで薄い形の硯に取り組み始めました。新しいと思っていたのですが、実はその素地が、若い頃の作品にあったことに気づいたんです。大学院を修了してすぐの個展で、薄い硯を何点か作ったのですが、自分のイメージを硯の世界にうまく取り入れることができず、「硯石のオブジェ展」とせざるをえませんでした。ちょっと見た目が変わったものを制作するのではダメだと思い、硯の歴史や伝統などを学び直しました。自分の中で納得のいく硯としてのフォルムに生まれ変わるのに、約20年の歳月を要したことになります。作家としては大きな転機になったと思います。

時代に応じた価値とフォルムを追求

翔想硯(2013年作)

翔想硯(2013年作)

――内なる変化に影響したものは何でしょうか。

 硯はただ墨を磨る道具なのではなく、墨を磨りながら心を鎮め、宇宙のリズムと呼応し、自分の心と向き合うための道具なのだと思い至ったのです。毛筆を日常としない現在、硯は必要不可欠なものではなくなっています。硯が現代社会の中で新たな意義を持つためには、そのイメージを再構築していく必要があるのではないでしょうか。ストレスの多い現代にこそ、心の拠り所、精神の器としての硯の役割りがあるのではないか。そのためのフォルムを見出すという挑戦が出発点になっています。
 自分の世界観の確立には、学生時代に大きな刺激を受けたアメリカの音楽家J・ケージの存在が不可欠でした。無音の音楽『4分33秒』が教えてくれたのは、表現することよりも、いかに世界に向き合うかが大事ということでした。硯の世界にしっかりと集中すること。その充実のために幅広い視野と好奇心を持ち、新たな価値観を追求する姿勢を貫いていくことです。

――そうした世界観が現代的な形になったわけですね。

 硯は心を鎮めるための造形ですし、石の素材感、存在感を生かすために従来の硯は安定感があり、量感豊かなフォルムが一般的でした。しかし時代に応じて心のあり方も違い、求められる造形も変わっていきます。現代の硯造形を追求した「悠想硯」や「翔想硯」は従来の硯のフォルムには当てはまらないものとなりました。
 硯に用いる石は産地によって、その特質に微妙な違いがあります。地元の峡南地域の粘板岩は粘りがあり、極薄に加工しても強度を失いません。この特性を生かして、従来の硯にはなかった空間を取り込むことができました。使いやすさからいうと対極にあり、バランスをどうとるかが難しい点です。

潮洋硯(2009年作)

潮洋硯(2009年作)

輝陽硯(2009年作)

輝陽硯(2009年作)

硯は自然や石と対話しながら作る「精神の器」

――このような日本の工芸の良さを、もっと世界に訴えていく必要があると思いますが。

 そのためには書を楽しんでもらうことも必要ですね。自分が書く楽しみはもちろん、歴史的人物の書を鑑賞するのも面白いと思います。かざりのない消息文は書き手の人柄がにじみ出ていて深く訴えてくるものがあります。また、平安の仮名はひたすら線の美しさを追究するアートだったのかと思うくらいです。
 私は、日本語が絶えない限り、そして自然に対する繊細な感性が失われない限り、墨の表現に対する憧れは失せないと考えています。作り手が誇りを持ち、その価値を時代に応じて訴えることができれば、硯も、和の原風景の一要素として残っていくでしょう。
 西洋の芸術思想が取り入れられて以来、日本の優れた職人技術は、その芸術性が永らく注目されてきませんでした。私も以前は新たな世界観を表現するファインアートと工芸とは別次元のものと考えていました。しかし、様々な制約があるからこそ表現する事のできる深さが、工芸の世界にはある事に気づかされました。自分を主張するのではなく、自然と素材と自分が密接に絡み合う制作の過程で「かたち」の中に私の世界観を宿すことができるはずです。硯は「精神の器」ととらえることで現代の造形として大きな可能性を持っています。私にとって硯は現代彫刻なのです。感性を絶えず活性化させ、現代に生きる硯をこれからも追求していきたいと思います。
 峡南地域は自然があふれ、木の匂い、小鳥のさえずりなど、自然のリズムやエネルギーを肌で感じることができます。自分が自然との媒体となって作品が自然に満たされ、それが硯の魅力になるはずです。自然と石との対話を続けていきたいと思っています。

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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2. 友禅染め 坂和 清氏

日本の技

インタビュー2 友禅染め 坂和 清氏インタビュー 2
友禅染め 坂和 清氏

染色の枠をこえてチャレンジしていく染色の枠をこえてチャレンジしていく

友禅作家・坂和清氏の工房は、新宿区の神田川近くにある。そこは江戸時代に京都から来た着物職人が住み着き、東京友禅の産地として今に至っている。

聞き手上野由美子

1. オーストラリアの花と海がモチーフ(2003年作)
坂和 清氏
1949年
東京神田三崎町に生まれる
1967年
父・坂和正春に師事し、友禅、型絵染めを学ぶ
1975年
正春死去により独立
1976年
第1回全日本新人染織展(奨励賞)
1978年
第3回全日本新人染織展(努力賞)
1983年〜
版画家・森義利先生に学ぶ
1989年
日本工芸会技術保存事業(茶屋染復原事業に参加)
1992年~
伝統工芸新作展、日本伝統工芸染織展に出品
1997年
日本伝統工芸展入選『風彩』
2000年
日本伝統工芸展入選『初秋の光』
2001年
銀座ポ-ラギャラリーにて個展
2002年〜
日本伝統工芸展、東日本伝統工芸展に出品 現在に至る
2015年
東日本伝統工芸展に出品 友禅訪問着『夕焼け雲』

丁寧な自然観察を工程に写しこむ

友禅染め 坂和 清氏
②北海道のラベンダーから(2005年作)
――友禅の制作工程は細かく分れているそうですが、そこの所から教えてください。

 まずは図案を起こすところから始まります。写実的な柄、図案的な柄など多様ですが、いずれも写生が根底にあります。抽象的な図柄でも、自然を観察することでヒントを得ています。着物は季節に先駆けて制作しますので、常に季節の花や鳥、風景などを写生します。下書き、墨入れをして図案が完成します。
 その後、糸目糊置きといって糊を絞り出しながら、生地に図案の輪郭を描いていきます。にじんだりしないよう糊を定着させる地入れという作業の後、輪郭の内側を細かく彩色します(友禅差し)。次は彩色した部分を糊で覆って、背景の生地を染めます(引き染め)。そして蒸して水洗いをして糊を落す。仕上げの紋章付けなども含めて12〜13工程あります。
 工程ごとに職人がいるのですが、展覧会などに出すものはほとんど自分でやります。移動中の傷みを避けるのと、もう1色、もう1塗りなど、細かい調整をするためです。1作に数か月かけることもあります。

――彩色する染料はどのようにしているのですか。

 原色となる5~6色を混ぜ合わせて小さな絵皿に1色ずつ作っておきます。作り置きはせずに、その都度、1色ずつ調合しているので、既製品にはない色を出せます。振袖など柄の多い着物には、100色程も色を使用することがあります。

構図や柄は品良く時代に合うように考える

――モチーフや絵柄はどうやって決めるのですか。

 着る人の体型なども考慮し、着た時に自然に見える構図を考えます。出展の際は衣桁に掛けた時の見栄えも意識しますが、やはり着物は着てもらうのがうれしいですね。通常は着る人の年代や好みに合わせて、品の良い着物になるように心がけています。以前は歳を重ねるごとに渋い色にするのが定番でしたが、最近は自由になってきて良いことだと思います。
 これはオーストラリアで見た「猫のひげ」という花がモチーフで、白い花がスッキリと映えるように背景を藍1色にしてみました(写真①)。この花を見た瞬間、「あっ、これは面白い」と感じました。写生は出会いの瞬間がすべてで、勝手に花がすーっと視覚に入ってきて、くっきりと見える感覚です。やはり花柄は好きな人が多いですね。花柄は一枚一枚をていねいにぼかし彩色するので、根気がいる作業となります(写真②)。
 江戸時代に使われていた蓑の古典柄に宝尽くしを配して、現代に合うように配色や柄をアレンジしました(写真③)。江戸時代は着物の全盛期で参考になるものは多いです。ただ、当時の画風に囚われ過ぎると現代に合わなくなるので、注意しなければいけません。
 部分的な見本を作って、色味や雰囲気を確認してから制作することもあります(写真④)。

③蓑紋様を現代風にアレンジ(2007年作)

④婚礼用の華やかな着物(2007年作)

小学校で染めの講座も担当


⑤夕焼け雲(2015年作)
――伝統技術や日本文化の良さを次世代にどう受け継いでいってほしいですか。

 私自身は、伝統や日本文化かどうかにこだわらず、生活の中で良いモノは良いと感じています。
 活動としては、千代田区の2つの小学校で、5年生を対象に、ハンカチを自分で染めて完成させる講座を担当しています。「ふれあい広場」といって7、8年続けています。輪ゴムで縛って、4色の中から好きな色を選んでハンカチを染めます。熱湯で煮沸し、水洗いをし、最後にアイロンを掛けるところまでやります。煮沸や水洗いは友禅染めの蒸しや水洗いに相当します。子どもたちは大喜びします。日本文化の良さを感じたら、継承し残してもらえるのではないでしょうか。これから外国の子どもと触れ合う機会も多くなるでしょう。そういう時に、お互いの文化を紹介し交流してほしいですね。

――今後チャレンジしたいことはありますか。

 年を追うごとに作風が明るくなってきたように、私の感性も少しずつ変化しています。また、お客様の好みも変わります。たとえば着物に合わせる帯の色は、以前は反対色だったのが、最近は同系色が主流になりました。これまでとは違った素材で制作したり、風景や目に見えないモノを描いたりしてみたいです。
 今年の東日本伝統工芸展(4月15日〜20日、日本橋三越)に『夕焼け雲』という作品を出しました(写真⑤)。太陽は沈む時が一番華やかだと言われます。私も年齢的には夕陽の時代に入りましたが、染色という領域に囚われずチャレンジして、着物も私自身もますます輝いていきたいと思います。

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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1. 陶芸 前田正博氏

日本の技

インタビュー1 陶芸 前田正博氏インタビュー 1
陶芸 前田正博氏

洋絵具で塗り重ねた絵画のような色絵磁器洋絵具で塗り重ねた絵画のような色絵磁器

伝統的な陶芸の世界に、自由な発想で新風を送る前田正博氏。ボランティア活動にも熱心な氏の工房を訪れた。

聞き手上野由美子

色絵銀彩面取鉢 2009年 第56回 日本伝統工芸展  日本工芸会総裁賞受賞作品
陶芸 前田正博氏
前田正博氏
1948年
京都府久美浜町に生まれる
1975年
東京藝術大学大学院工藝科陶芸専攻終了
1983年
今日の日本の陶芸展出品
(ワシントン・スミソニアン博物館、ロンドン・ヴィクトリア&アルバート美術館)
1992年
日本の陶芸「今」100選展出品(パリ、東京)
1998年
伝統工芸新作展奨励賞受賞
2005年
菊池ビエンナーレ展優秀賞受賞
2008年
智美術館大賞 現代の茶陶器展優秀賞受賞
(菊池寛実記念智美術館)
2009年
日本伝統工芸展日本工芸会総裁賞受賞
2010年
岡田茂吉賞MOA美術館賞受賞
2011年
2010年度日本陶磁協会賞受賞

磁器では珍しい赤も使う

――なぜ陶芸の道に入ったのですか。

 子供の頃から美術が好きでした。3浪してやっと東京芸大に入ったので、うっぷん晴らしというか、毎日が楽しくて、朝から晩までずっと学校で制作し、2年生までに絵画や彫刻、工芸一般をひと通り全部やったうえで陶芸を選びました。陶芸の工程は進むごとに変化するので、楽しく自分に向いているのではと思ったからです。

――前田さんの作品の赤や青の鮮やかな色使いが私は好きなのですが、食器では珍しいですよね。

 一般に磁器は白っぽいイメージが強くて、特に白磁はクセがないから、逆に何でも試してみようと、赤のような彩色も使ってみるわけです。青は皆さんに好まれますね。器としては赤は採用されにくいのですが、自由に自分の思いを表現することを優先しています。

左:色茶盌 2011年
右:色絵金銀彩蓋付壺 1990年

――第一人者になるまでにどんな努力をされましたか。

 陶芸を始めた大学3年からずっと繋がっているんです。最初の1年くらいはまったくダメでしたが、繰り返し作っていくうちに、人に教えられるくらいにはなるのでしょう。粘土は扱いにくく、なかなか思うようになってくれません。窯に入れて焼いてみると、自分がイメージしたものとは違うものができてきます。「しょうがないな」とよく思いますが、それも面白いです。
 それと、いろんなものを見るようにしています。古本屋で建築や昆虫などの図鑑を見たり、抽象絵画の展覧会に足を運んだりして刺激を受けています。
 イメージが頭の中に姿を現してくるとまずはロクロに向かいます。ロクロを挽いて、形になったものを削って焼いて、作っていく工程でイメージを実際の形に近づけていきます。思ったように形にならなかった時でも、もう1回、またもう1回と、何度もチャレンジします。頭の中のイメージだけでは持続しません。 買っていただくとか、人より面白い物を作りたいという競争心もあって、進化していると思います。

お客様のためにも六本木に工房を置く

――日本の伝統文化としては、陶芸をどのように捉えていますか。

 ヨーロッパ、アメリカ、アジアの国々を回りましたが、工芸は日本が一番だと感じます。伝統かどうかは時間が決めることですが、日本人の自分が日本で作っているのだから、日本の文化なんでしょうね。特に食器は自分が常日頃使ってきたものです。でも、こうだったらいいな、こんなのも面白いと、少しずつ変化させていきます。そうしたところに文化が表れるのかもしれません。

――なぜ、六本木に工房を構えたのですか。

 東京のど真ん中だからです。私は京都府出身ですが、京都駅から3時間以上かかる田舎で、美術に関する情報もほとんどありませんでした。東京は刺激も多く、作陶へのヒントを得る機会が増えます。なによりお客様が来やすいし、友人にも陶器を作りたい人が多く、そうした要望に対応しやすい場所です。私の作陶だけではなく、陶芸教室の生徒さんも気軽に足を運べます。


色絵金銀彩輪花鉢 1990年
――前田さん独自の、洋絵具を彩色に用いる手法を取り入れている理由は。

 重ね塗りができることです。私の場合、マスキングテープを使って、彩色しては焼くという工程を5、6回繰り返します。和絵具だとガラス成分が多く入っていて、何度も焼くと剥離してしまうのです。油絵をやっていた大学時代から古いキャンバスに色をのせたり、削ったりしていましたから、やきものでも同じようなことができないかと洋絵具を用いる事にたどり着いたのです。そうやって、いろんな表現にトライしています。

使い手も遊び心で楽しんで

――食器は一般の人にも身近ですが、アート的な作品も考えておられますか。

 人に買って使っていただくという点からも、作るものは器が主になります。何点か揃った数ものをロクロで挽く場合"トンボ"という道具で大きさを合わせていきます。コーヒーカップならばカップの角度、下に置くお皿とのバランスなどを考えて挽いていきます。磁器は焼くと縮みが激しいので蓋物も合わせが難しいです。皿も、尺を越す大きなものは値段が高くなります。やはり作るのが易しくはないからです。
 用途のないものは無理ですね。アートと職人的思考は回路が違うんです。ただ、そこに在ることで、その場の雰囲気をもたせられる器というものはあります。絵画的な表現を食器という立体の中に取り込んできたのもそのひとつです。楽しんで遊び心で作った器なので、使う人も自由な発想で使っていいと思います。

――ボランティア活動もされているそうですね。

 サントリー芸術財団の声かけで「おもしろびじゅつ教室in東北」という震災復興ボランティアで小学生に陶芸体験をしてもらっています。皿やそば猪口に切り絵の感覚で色をつけるのですが、みんな夢中になります。うちの陶芸教室でもそうですが、子供の発想は豊かで刺激を受けます。 上等の茶道具を使って小学生に茶道体験をしてもらう取り組みも、文化庁とMOA美術館の支援で行っており、私は陶芸の話をしています。
 嘉門工藝さんの、お茶の魅力や日本文化を親しみやすく紹介できる茶籠セットも子供達に評判でした。

小学生にお茶の魅力を紹介する
茶籠セット

震災復興ボランティア小学生の
陶芸作品

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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