元理事長 松田妙子
松田妙子は、1986年から33年間、生涯学習開発財団の理事長を務めました。
在職中、自らの行動をもって「学び続けること」「社会と関わりを持つこと」の大切さを訴えるとともに、
皆様の「学び」を多様な形で応援し続けましたが、2019年2月に永眠いたしました。
この頁では、松田妙子の著作やインタビューなどを紹介しておりますので、その活躍をご覧ください。
メッセージ
松田妙子が理事長として表明していた「ご挨拶」です。
人は感動する心を失わず、何かを学び続けるかぎり、年齢にとらわれない生き方ができる。私はそう思います。
大学を出て企業に勤め、終身雇用で定年まで働き引退という人生の図式は、今や多くの人にとってあてはまらなくなりました。社会と長く関わりを持ち続けるためには、勤めている、いないに関わらず、社会の中での自分の役割を見つけるため、常にもう一人の自分を育てていくべきではないでしょうか?
そこで必要となるのは、積極的に新しい発想や多様な分野で自ら学びを深めることです。その学びを支援するため、財団法人 生涯学習開発財団は設立されました。「生涯学習」という言葉は、私がこの時考え、日本で使われるようになったものです。「生涯学習」は広く認知されるようになり、30年を経てもこの言葉の持つ意味はますます広く、深くなっています。
変化の大きな時代の中で、「生涯学習」は、自分で考え責任ある生き方をする「個」の確立であると同時に、その学びを通して社会に役立つ活動を展開するものであってほしい。それが将来の日本を支える人材育成につながると信じています。
当財団は、そうした社会事業育成・人材育成の理念に基づき、企業・団体・個人と幅広く後援活動を行うとともに、その礎となる「生涯学習」を推進していきます。

経歴
- 昭和2(1927)年
- 東京生まれ
- 昭和29(1954)年
- 米国 南カリフォルニア大学留学マスコミュニケーション専攻
- 昭和30(1955)年
- NBCテレビ演出部に勤務(日本人初のプロデューサーとして活躍)
- 昭和35(1960)年
- 株式会社 コスモ・ピーアール設立 取締役就任
- 昭和39(1964)年
- 日本ホームズ株式会社設立 代表取締役就任
- 昭和52(1977)年
- 財団法人 住宅産業研修財団設立 理事長就任
「ハウス55計画」を手がけ、建設審議会委員として政策提言を行う - 昭和61(1986)年
- 財団法人 生涯学習開発財団 理事長就任
- 昭和62(1987)年
- 藍綬褒章受賞(その他受賞多数)
- 昭和62(1987)年
- 株式会社 J-WAVE 取締役就任
- 昭和63(1988)年
- 生涯学習関連施設のネットワーク形成に関する懇談会委員(文部省)
- 平成6(1994)年
- 東京都公安委員会委員(初の女性委員)
- 平成6(1994)年
- ベトナム・ビエンホア孤児職業訓練センター「有隣園」園長就任
- 平成11(1999)年
- 東京大学工学博士号取得
- 平成15(2003)年
- 大工育成塾設立 塾長就任(国土交通省補助プロジェクト)
- 平成18(2006)年
- ハーバード大学クロコディロス60周年記念式典に参加
- 平成24(2012)年
- 生涯学習開発財団 博士号取得支援事業を開始
フォトライブラリー
松田妙子がアメリカや日本、ベトナムなどで活躍していた様子を写真でご紹介します。
卒寿のお祝いパーティーを開催
2017年10月3日、「松田妙子理事長 卒寿のお祝い」パーティーを、東京アメリカンクラブで行いました。理事長の歩みをまとめたビデオもご紹介し、笑顔あふれる会となりました。
生涯学習情報誌から
生涯学習情報誌に掲載した理事長の原稿をご紹介します。
- あなたは家族に何を繋げますか?(2019年1月号)
- 91歳の誕生日を迎え、心躍る事がら(2018年10月号)
- あなたは今年、何を見つけますか?(2018年1月号)
- あきらめないこと、そして「ゆかいにやる」精神も大切(2017年1月号)
- 自分の中の小さくとも新しい興味の目を大切に(2016年1月号)
- 「さらに学ぶ」姿勢が次の使命へと導いてくれる(2015年1月号)
- “Shake the world!!” 87歳の誕生日を迎えて(2014年10月号)
- 世界が日本に注目するこれからの時代に大切なこと(2014年1月号)
- コミュニケーション力が問われる時代だからこそ日本文化をよく知る事が大切(2013年1月号)
- 社会貢献したいという思いを持ち続け、身近なところから始めてください(2012年6月号)
- 「エイジレス・ソサィエティ」の創造に向かって(1988年冬・創刊号)
著作
「アメリカで恋と仕事を」
単身アメリカに渡り、南カリフォルニア大学に入学。学業の傍らNBCに職を得、当地で結婚。二人の子どもを産んで帰国するまでを描いた自伝。
「一家一冊」
専門家に頼らずに、日々の暮らしの中でできる住宅の手入れや補修を、ポイントごとにわかりやすくまとめている。
「私は後悔しない」
妙子の大叔父、大森兵蔵と妻アニーの出会いと生涯を描く。アニーの別荘は当財団の河口湖「有燐園」資料館となっている。
「家をつくって子を失う」
家は家族の幸せの容れものである」。良い家とは何かを深く突き詰め、「子ども部屋」に関する独自の意見を展開した。
「親も子も後ろ姿を見て育つ」
父松田竹千代から教えられた「社会に借りたものをお返しする」という考えを、我が子の子育てでも実践。その詳細を記す。
「カゲのヒーロー・鑑識」
孫娘の小学校卒業レポートとのコラボレーションからできた本。警視庁刑事部鑑識課の真の姿を報告する。
評伝・インタビュー
「旺盛な欲望は七分で抑えよ 評伝 昭和の女傑 松田妙子」 鈴木れいこ著 丁寧な取材による数多くのエピソード。
Newsweekに取材され、「Business Finance」の頁で紹介される。1972年2月7日版に掲載。
雑誌「ドメインシニア」1987年3月号に掲載。特集「私の意見・6人からのメッセージ」内で、「あと40年どう生きる」について語る。
雑誌「ミセス」1988年10月号に掲載。記事「人生の折り返し点はもう一人の自分を見つける時」は、女性の生き方について語ったもの。
雑誌「文藝春秋」2002年4月臨時増刊号にて取材され掲載。記事「「家をつくって子を失う」20年目の真実」は7頁にわたる。
雑誌「クロワッサン」2005年3月25日号に取材され掲載。「エイジレスに大切なのは、晩節を汚さず、夢を持ち続けること」。
雑誌「家庭画報」2018年7月号に取材され掲載。「働く女性の健康長寿から探る「生涯現役」養生術」で紹介される。