1983年からの財団の歩み

松田妙子 フォトライブラリー松田妙子 フォトライブラリー

松田妙子がアメリカや日本、ベトナムなどで活躍していた様子を写真でご紹介します。

1950年代

戦後の混乱期から復興、経済的発展へと成長し始めたこの頃、1ドルは360円。日本におけるテレビの本放送は1953年に開始された。松田妙子は1954年、単身アメリカに渡り、NBCの会長直々に手紙を書き、認められ、NBCで働くようになる。

1960年代

高度経済成長期。カラーテレビが普及しだす。1964年、東京オリンピック開催。妙子は1959年に帰国、翌1960年、コスモPRを夫と設立。

1970年代

1970年、日本初の万国博覧会が大阪で開催。家庭には洗濯機や冷蔵庫が行き渡り、女性の社会進出が進む。妙子は評論家としても活躍、講演会を行いTVにも出演した。

1980〜90年代

1986年、男女雇用機会均等法が施行。この年、妙子は生涯学習開発財団の理事に就任。1989年、元号は昭和から平成になる。1999 年3月、妙子は71歳で東京大学工学博士号を取得する。

2000年代

インターネットが急速に普及し、社会と産業の構造改革が進む。妙子は父の遺志を継ぎ、1994年に戦災孤児のための施設ベトナム「有燐園」の園長となり、2006年まで現地をたびたび訪れた。2002年FIFAワールドカップの日韓開催。2011年、東日本大震災。