8. 脳神経内科の名医に聞いた

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

8. 脳神経内科の名医に聞いた 8. 脳神経内科の名医に聞いた

人生100年時代と言われるが、長生きは誰もができるわけではない。では、その秘訣は何か。脳神経内科医の霜田里絵さんは、「画家の生き方がヒントになる」と気づく。本を著した霜田さんに詳しく話していただいた。

霜田里絵 銀座内科•神経内科クリニック院長・医学博士
鬼塚忠が霜田里絵さんにインタビュー

「長生きのヒントは画家の脳の使い方にあります!」

鬼塚 本日はお忙しいところありがとうございます。先生は脳とアンチエイジングを専門にしている脳神経内科医でいらっしゃいますね。

霜田 はい。私は、銀座に脳神経内科のクリニックを開業しています。早いもので医師生活も四半世紀を超えました。日々、患者さんと接しているうちに「元気で長生きしたい」という気持ちは人間の共通課題だと思うようになりました。どうすれば長寿になるのか? 長年、考え続けてきましたが、最近、あることに気づきました。

鬼塚 何に気づいたのですか?

霜田 それは、脳の使い方が需要だということです。現代の日本人こそ男女とも平均寿命が80を超える長寿社会ですが、そうではない時代に圧倒的な長寿をまっとうした方々がいるのです。それは画家です。東山魁夷90歳、横山大観89歳、葛飾北斎89歳、ピカソ91歳、ダリ84歳、シャガール97歳、片岡球子103歳、モネ86歳、ミケランジェロ88歳などなどです。

鬼塚 すごい年齢ですね。調べると明治・大正の日本人の平均寿命は43歳。50歳に達したのは戦後すぐの1947年ですね。特に葛飾北斎は江戸時代で医療も環境衛生も整っていない時代にこの年齢まで生きたのですから驚きです。平均寿命の倍生きたのですから今の感覚だと160歳まで生きたということですね。

霜田 さらに強調したいことは、この長寿の画家たちは長く生きただけでなく、死ぬ直前まで精力的に作品を描き続けていたという事実です。

鬼塚 巨匠たちにこういう言葉を使っていいか分かりませんが、ピンピンコロリですね。どうして画家たちは長く生き、最期まで情熱を燃やし続けることができたのでしょうか?

霜田 画家の長寿を科学的に捉えるならば、「テロメア」がヒントになると考えます。テロメアとは2009年にノーベル生理学・医学賞を受賞したエリザベス・ブラックバーン博士を中心として研究が進んでいるもので、細胞の中にある染色体の端に存在すると言われています。テロメアは細胞分裂を繰り返すたびに短くなっていきますが、逆にその長さを伸ばすことができれば老化を遅らせることができます。テロメアの長さはDNAを構成する塩基対の数で表され、生まれた時は10,000塩基対あったのが、35歳で7,500になり、65歳で4,800となります。これが2,000塩基対になるとこれ以上細胞分裂できなくなります。

鬼塚 急に医学的な話になりましたね。つまり、画家たちの脳はこの塩基対の数が減らないということですね。

霜田 その可能性はありますね。実際、1958年に89歳で逝去した横山大観の脳は東京大学医学部で病理解剖され、執刀した吉田富三教授によれば、加齢により進む脳の萎縮の程度が60歳前後で、重さも日本人男子の平均を上回り、血管には動脈硬化は見られなかったそうです。脳は驚くべく若さを保っていたということです。

鬼塚 具体的には画家の何を学べばいのですか?

霜田 規則やモラルから自由であるということでしょうか。画家には当然ですが定年退職がありません。外来で、特に男性によくみかけるのですが、定年退職を迎え、「燃え尽き症候群」の方が多い。人生には本来、定年という節目などないのです。一定の年齢が来ればペースを落としていいとか、時が来たからもう終わりとか考えません。時間的制限は命の期限まであるのです。

鬼塚 具体的な画家でいうとどういう話になりますか?

霜田 例えば東山魁夷先生は当時の常識でいう定年を過ぎた61歳のときにドイツ・オーストリアをおよそ5か月も旅し、この旅で描き貯めたスケッチをもとに、帰国後ますます精力的に制作に打ち込みました。しかも洋式の建物や石造りの建物を日本画の技法で描くという新たな挑戦もしたのです。1972年64歳のときには、突然モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調第2楽章の旋律が聞こえ、1頭の白い馬が針葉樹の中に現れる幻想を見たそうです。これまでにない新しいイメージをテーマに、本制作12点、習作6点、計18点の「白い馬の見える風景」を発表。約一年間のうちに連作を手がけました。65歳になると新たに水墨画の世界に入っていきます。唐招提寺の襖68面と床の間、鑑真和上坐像の安置される厨子の内部の装飾という非常に尊い重要な仕事を依頼され、障壁画制作のために各地を旅し、風景の写生に時間を費やします。この仕事は72歳の時に無事に奉納。およそ7年かけて鑑真和尚と向き合い、全精力を傾けて仕上げました。その後も晩年まで風景画家として精力的な制作を続けています。定年という概念がないからいいのでしょうね。

鬼塚 すごいですね。西洋の画家でいうとどうですか?

霜田 ピカソもまた最晩年までもの凄いエネルギーで制作し続けました。陶芸に挑戦したのは65歳。78歳でマネの代表作「草上の昼食」をもとにして、油彩、パステル、デッサンと合わせ140点の連作を描き始めます。そして79歳でジャクリーヌ・ロックと南仏で結婚。そこでさらに勢いづき、91歳まで制作を続けます。定年だからちょっとゆっくりとなど考えないのです。むしろ60以上になって忙しさを謳歌しています。ちなみにピカソの最期の言葉は往診に来た独身医師に「女っていいものだよ」というものだったそうです。

鬼塚 死ぬまで創作意欲に燃え、女性好きだったということですね。60歳以降の生き方に鍵がありそうですね。

霜田 そうです。楠木新さんの著した『定年後』(中公新書)には60歳定年の場合、60歳からの自由時間なんと8万時間もあるそうです。20歳から60歳まで40年間勤めた総労働時間より長いのです。この8万時間に脳へ刺激を与え続けることが重要です。かつては脳の細胞は齢とともに衰えると思われていましたが、1998年にスウェーデンの研究者らによって「海馬」という記憶に関わる重要な部分が年齢を重ねても新生されることが報告されました。画家たちがそういうことを知っているとは思いませんが必然的に脳を刺激してきました。

鬼塚 とはいえ、私たちは画家ではないのですがどうすればいいでしょうか?

霜田 画家はとにかく1作でも多く描きたいという気持ちを持ち、常に新しい挑戦を続けてきました。そういう生き方を私たちは学んだ方がいいと思います。画家を職業としようがしまいが「生きている限り創作を続ける精神」を私たちはヒントにすべきでしょう。絵を描くのもいいでしょう。また、自分の好きなことに、新たに挑戦をしていくことでしょう。

鬼塚 他に画家に学べることはありますか?

霜田 規則や常識に縛られないということです。先に述べた定年退職もそうです。世間の規則や常識は好き勝手に解釈すればいいのです。横山大観先生も日本画と洋画を区別せず自由に描いていました。葛飾北斎は生涯93回の引っ越しをしています。自由だから「東海道名所一覧」のような名作が生まれたのです。自由に生きることでストレスが軽くなり生きる情熱を持って生きられます。その結果、テロメアを短くせず、年齢を重ねてもさらに活性化することができるのです。

鬼塚 本日は貴重なお話をありがとうございました。

『一流の画家はなぜ長寿なのか』(サンマーク出版) 霜田里絵著
「長生きした人たちには共通の理由があった!」
脳神経内科医の視点から解き明かす長寿の秘訣

霜田里絵(しもださとえ)
順天堂大学医学部卒業後、脳神経内科医局に入局。順天堂大学病院他、都内の病院勤務や研究生活を経て2005年に銀座内科•神経内科クリニックを開設。日本神経学会専門医。日米の抗加齢医学会の専門医。脳とアンチエイジングを専門とする。
著書:『「美人脳」のつくりかた』(マガジンハウス)、『脳の専門医が教える40代から上り調子になる人の77の習慣』(文藝春秋)、『一流の画家はなぜ長寿なのか』(サンマーク出版)など多数。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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7. 大切なのは、学んだことを後世に伝えること

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

7. 大切なのは、学んだことを後世に伝えること 7. 大切なのは、学んだことを後世に伝えること

インターネットで検索すれば簡単に知識が手に入る時代になった。そんな時代に重要なのは「単純な知識」ではなくて、「学ぶ姿勢」ではないかと冨島佑允氏は言う。これからの生涯学習のヒントを冨島氏に伺った。

右)鬼塚忠が冨島佑允さんにインタビュー
左)冨島佑允
物理学修士・ファイナンスMBA・CFA協会認定証券アナリスト

鬼塚 本日はお忙しいところありがとうございます。そして新刊おめでとうございます。この新刊『日常にひそむ うつくしい数学』(朝日新聞出版)は、難しい数学を面白いものと捉え、読者を惹き付けていますね。どういう内容で、どういう目的で書かれた本なのですか

冨島 何気ない日常に潜む数学の神秘について、読者と一緒に考えていく本です。大人向けの教養本ではありますが、小・中学生にも分かる平易な言葉で書いています。構成としては、「かたち」「かず」「うごき」「とてつもなく大きなかず」の4章からなり、各章に複数の話題が収められています。色々な話を盛り込んで、子供から大人まで楽しめる本を目指しました。

鬼塚 4つの切り口から数学を味わうというコンセプトは、とても面白いと思います。例えばどんなことが書かれているのか、いくつかご紹介頂けませんか?

冨島 例えば、さまざまなものの「かたち」。雪の結晶、シマウマのしましま、巻貝の螺旋形……。何気ない日常の「かたち」には、数学の法則が隠されています。ハチが六角形の巣を作るのは、お洒落だからではありません。あのかたちには、人間顔負けの数学的かつ経済学的な理由が隠されているのです。かたちの法則を理解すれば、ドラえもんの四次元ポケットの中だって“見る”ことができてしまいます。
さらに「うごき」はどうでしょうか。生物の法則をコンピューター上で真似した「ライフゲーム」というものがあります。ライフゲームでは、コンピューターの画面が格子状に区切られ、それぞれのセルが白か黒に塗られています。これらのセルは生物をイメージしたもので、 黒は「生」、白は「死」に対応しています。実際の生物はデリケートで、仲間が多すぎても少なすぎてもうまくいかず、適度に仲間がいるときだけ繁栄できます。これに倣って、黒のセルは、周囲が人口過密か過疎の場合は死んでしまい(白になる)、適度に仲間がいる場合は生き永らえたり子供を産んだりします。
不思議なことに、ある特定の配置で黒を並べた状態からライフゲームをスタートさせると、セルの生死(白黒) が目まぐるしく変わっていき、やがて「シェルピンスキーのギャスケット」という、ペルシャ絨毯のような美しい幾何学模様が現れます。コンピューターの中で繰り広げられる生と死の物語が、神秘的な幾何学模様を描いていく。数学の不思議を感じる瞬間です。それ以外にも数多くの話題を紹介しています。

『日常にひそむ うつくしい数学』(朝日新聞出版)
「『ドラえもん』のポケットと同じ4次元って、どんな状態?」「きょうだいなのに、顔や性格が違う理由って?」「ロケットと飛行機の飛び方って何が違うの?」― 小6でもわかるやさしい解説で考える。

鬼塚 私も拝読させて頂きましたが、とても面白い内容で引き込まれました。数学が苦手な人も、これを読んだら数学に親近感を感じるでしょうね。ところで、執筆のきっかけは何だったのでしょうか?

冨島 もともとは、出版エージェントの方から、このような本を書いてみないかというご提案を受けたのが執筆のきっかけでした。ちょうどその頃は長男が生まれたばかりで、その子が12歳くらいになったら読んで欲しいなと願い、書くことを決意しました。

鬼塚 ほお、自分の息子の将来のために、ですか。だから本も丁寧で愛情が込もっているのですね。 本誌『生涯学習情報誌』は文字通り、学びがテーマ。学びというのは、自ら学ぶということも重要ですが、その知見を後世にどう残すかもとても重要なことです。冨島先生はどう思われますか?

冨島 日本の学校教育では、教える内容や方法が文科省によってガチガチに決められています。それに素直に従える子はいいのですが、教える側(大人や教育制度)に柔軟性がないために、勉強を面白くないと感じ、挫折してしまう子も多いと思います。そんな子にとって刺激になるのは、家族や地域の誰かが、大人になっても学びを楽しんでいる姿です。
若い世代にとって、知識を得ること自体は容易です。インターネットで検索すれば、およそ何でも調べることが出来るからです。そんな時代にあって、本当に伝えるべきなのは単純な知識ではなく、「学ぶ姿勢」だと思います。学校で学びを“強制”されている子供達にとって、強制されずとも自主的に学んでいる大人の姿は驚きであり、輝いて見えることでしょう。そうやって背中を見せることで、次の世代が育っていくのだと思います。

鬼塚 日本がアジアの中で、早くから先進国になれたのも、早くに知に目覚め、江戸時代に寺小屋があり、世界でもっとも識字率の高い国になり、その知が後世に引き継がれ、それが今の繁栄の礎になっている。知が国家に蓄積されていくことが重要だと思います。

冨島 20世紀初頭は、日本の労働人口の約7割が第一次産業に従事していましたが、今は5%程度に過ぎません。ますます多くの人が、単純な肉体的労働力でなく、知識や技能を提供することで生計を立てています。このような歴史の流れを読みとった経営学者のピーター・ドラッカーは、今から四半世紀ほども前に、知識こそが国富の源泉だと主張しました。
国家の繁栄は、知を生み出し、それをもって心と生活を豊かにしていく以外に道はありません。これからは、車の運転などの単純労働はAI(人工知能)が担っていくと言われています。そうすると、人間は他のところで価値を発揮することが求められ、文化・教養がますます重視されていくでしょう。
また、平均寿命が延びていき、人生100年時代といわれるようになりました。そんな中で、学校教育のたった20年前後だけ勉強をして、残りの8割の人生は学ばずに過ごすということでは、人生を豊かなものにするのが難しくなっています。一生学び続けることが当たり前の時代に、私たちは生きているのです。

鬼塚 時代は変わっていく。だから過去にはなかった新しいものを学ばなくてはならない。学びにも取捨選択がいるかもしれない。今の日本の知のなかでもっとも後世に伝えるべき知はなんでしょう?

冨島 その昔、教養・学問といえばアリストテレスという時代が千年以上続きました。しかし今は、多くの偉人が様々な思想を遺し、無数に分かれた専門分野から膨大な知識が毎日のように生み出されています。 そんな中、「教養といえばこれ」という定番のような ものを決めるのは難しくなってきました。面白いもの、学ぶべきことが多すぎて、一人では到底カバーしきれないからです。ですから、これからの時代は、生涯学んでいくべきテーマをそれぞれが取捨選択し、自分に相応しい学習分野を自分で見つけていくことが求められます。お隣さんと知っていることは全く違う、でもどちらも教養人だということです。
数学、日本文化、舞踊、映画、歴史……一言に「教養」といっても、様々なジャンルがあります。「教養の多様化」が進む中、どのような教養を身につけるかの選択眼が試されるようになっています。

鬼塚 冨島先生は、最近はどのような学びをされていますか?

冨島 私自身は昨年から今年にかけて、仕事帰りに大学院に通ってMBAを取得しました。学んだ知識は仕事に役立っていますし、志を持つ仲間と知り合えたことも一 生の財産になりました。また、昨年は米国の証券アナリスト資格(CFA: Chartered Financial Analyst)を取得しました。これは、経済や金融の国際的なプロフェッショナルを認定する資格で、資格試験を通じて多くの有用な学びがありました。今後も、このような学習は続けていくつもりです。

鬼塚 本日はありがとうございました。

冨島佑允(とみしま ゆうすけ)
1982 年福岡県生まれ。京都大学理学部・東京大学大学院理学系研究科卒。院時代は素粒子実験プロジェクトの研究員として活躍。その後メガバンクで国債や株の運用を担当し、ニューヨークでヘッジファンドのマネージャーを経験。2019 年に一橋大学大学院でMBA in Finance の学位を取得。国際的な金融マンであると同時に、科学における最先端の動向にも精通している。著書に『「大数の法則」がわかれば、世の中のすべてがわかる! 』(ウェッジ)、『この世界は誰が創造したのか─シミュレーション仮説入門』(河出書房新社)、『日常にひそむ うつくしい数学』(朝日新聞出版)がある。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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6. 定年博士

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

6. 定年博士 6. 定年博士

生涯学習開発財団は、50歳以上の博士号取得支援をされていますが、故・松田妙子理事長の71歳での博士号取得を手本として制度化したそうです。私からもぜひ紹介したい、博士号取得者がいらっしゃいます。吉岡憲章氏。70歳になって学びたい気持ちを抑えられず、大学院に入学し、77歳で博士号(経営情報学 Ph.D.)を取得。そして、その知見を今なお現場で生かしているとか。

左)鬼塚忠が吉岡憲章さんにインタビュー
右)吉岡憲章
未来事業株式会社 代表取締役
経営プロデューサー 博士(経営情報学)、MBA

鬼塚 この度は博士号の取得おめでとうございます。まずは先生の今までの経緯を簡単にお話いただけますか?

吉岡 今日はお招きありがとうございます。私は、この世に生を受けてから長いですからね(笑)、かいつまんでお話ししましょう。
 私は1941年、太平洋戦争開戦となる真珠湾攻撃の2か月前に中国上海で生まれ、終戦の翌年の1946年に日本に引き揚げてきました。
 1963年に早稲田大学の理工学部を卒業し、日本ビクターに入社しました。技術者でしたが経営に関心があり、企画課長など事業経営に携わる仕事に従事しました。
 経営トップが松下幸之助翁でしたので、感化され、松下イズムを世の中に広めたいと思うようになりました。そこで入社11年後の1974年にビクターを卒業して、中小企業を対象にした経営コンサルティングの会社を創業しました。しかし、当時は中小企業の経営コンサルタントという概念がなかったため、学ぶべき先人もいません。参考にする書籍もありません。それならば、と自分自身が起業して、経営とは何か、中小企業の社長は何を悩むのかなど現場で実体験しながら、経営コンサルタント業を続けました。
 まず始めに町工場を創業し、下請けの屈辱や資金繰りの厳しさなどを味わいました。その後、自ら商品を開発し、メーカーへと脱皮しました。さらには居酒屋など13もの会社を創業し、各業種の経営を体験していきました。その結果、「常識破りの再建請負人」と言われるに至り、2002年に「潰れない会社にするための講座」(中公ラクレ)を上梓し、鬼塚さんのご支援で、その後7冊の出版に至りました。

鬼塚 すごいご経験ですね。それがなぜ大学院を目指すことになったのですか?

吉岡 はい。私のモチベーションは、困っている中小企業の経営者を助けたい、という思いです。その思いを糧にがむしゃらに働き、50代60代で行った中小企業の再建は成功した例が多く、金融機関などからそれなりの評価を得たのです。しかし、それは私の経験から導かれた勘所に頼るところが大きく、コンサルタントとしてもう一段高みを目指すために、今まで実践したものを論理的なものにし、社会に貢献したい、学問としての企業再建論にしたいと考えはじめました。それは60歳を過ぎた頃でした。10年間その思いがもやもやし、満を持して、70歳で多摩大学大学院に入学したのです。そして2019年に研究論文をご評価いただき、経営学博士号を賜ることになったのです。

鬼塚 おめでとうございます。人生に対する意欲がすごいです。普通、70歳というのは現役から退く年齢ですよ。それが70から大学院に入って、なお学びたいとか、まだ社会に還元したいとかというその意欲は脱帽です。とはいえ、70歳です。博士号取得を目指すなかで、諦めずに続けられるだろうか……、健康、お金、それぞれ不安もあったのではないでしょうか。よければそのときどきで抱いた不安を聞かせてください。

吉岡 やはり健康が不安でしたね。まず、大学院の修士課程に入ろうと思った矢先に前立腺癌を宣告されました。その時には、もし私が生還できなかった時のことまで考えて遺言状まで書きました。幸いにも、いまは快復し、この通り元気になりました(笑)。
 また、経営コンサルティング会社の経営を続けながらの論文研究です。時間をどのように捻出するかが大きな課題でした。研究を優先し、博士号取得まではすべての時間を充てました。その上で、土日はフルタイム、平日でも業務の準備を終わらせてから毎日夜中の2時、3時まで論文研究にのめりこみました。

鬼塚 途中でくじけそうになったこともあるかと思います。そのときはどのようにして乗り切ったのですか?

吉岡 社員と妻に助けられました。論文執筆には膨大な時間が割かれるので、社員の理解も必要です。博士号を取得すると宣言し、かかる負担を了承してもらいました。妻にも感謝しています。この博士論文への挑戦だけではなく、独立するときも、関連した上場企業が破綻して、自分の財産を投げうったときも、いつも嫌な顔ひとつせずに認めてくれました。これが、私がここまで来られた要因です。だから、今回の博士号は社員や、妻など皆で得たものと思っています。
 論文指導教授のアドバイスもよかった。私が混乱していると夜中でもヒントとなるメールを送ってくれました。いい論文が書けると激励をしてくれたりもしました。だから、途中であきらめるわけにはいかない、絶対投げ出すわけにはいかないという思いになりました。

鬼塚 いろんな方に支えられての博士号なのですね。もうひとつ聞きたいのは、若い人と比べて記憶力や理解力は落ちると思います。そのハンディはどうカバーしましたか? 70歳なり勉強の仕方など教えてください。

吉岡 まさに、ついさっき何を言ったかさえ忘れてしまうことが度重なるような年齢です(笑)。論文研究にあたっては、資料とデータのファイリングを意識し、効率的な情報整理を心がけました。また、幸いと言いますか、研究のテーマが私の事業に関係する内容ですので、仕事=研究と言っても過言でないほどでした。仕事をしながらそれがそのまま復習になったり、実験になったりの繰り返しができたのです。

鬼塚 机上の学問に終わらせないということですね。70ともなれば年金暮らしという楽な生活もあるはず。何がここまで吉岡さんの気持ちを動かしたのでしょうか。

吉岡 全国の経営者のためです。国税庁の発表では、中小企業では赤字決算の企業が68.5%に及んでいます。つまり3分の2以上が赤字経営ということです。ここが、景気の良いと言われている大企業と違うところです。このように収益が悪く、経営再生専門家が「もう破綻するしかない」と診断した窮境状態にある企業を、私のこの博士論文のテーマである再生手法を活用することによって、80%もの中小企業を生き返えらせることができると、この博士論文でも証明できました。
 その結果、眠れないほど追い詰められた社長が笑顔を見せてくれます。これが私の生きがいです。

鬼塚 このインタビューを読んでいる方々も、吉岡さんのように博士号の取得を考え始めているかもしれません。可能ならば、大学を選ぶ際に参考になること、どのくらいお金がかかるかなどを教えていただければ嬉しいのですがいかがでしょう?

吉岡 自分のこれまでやってきた仕事に関係した分野を追求できる大学院を選ぶと良いでしょう。趣味レベルでは歯が立たないです(笑)。
 また、お金に関してですが、大学院によって異なると思いますが、私の場合は修士と博士課程を修了するための入学金・授業料が700万円。他に学会に入りますので学会費や研究用書籍などを含めると、1千万円くらいだと思います。

鬼塚 かなり高額ですね。

吉岡 一見そう思われるかもしれませんが、それだけのものを学べます。

鬼塚 さすがです。最後に、『生涯学習情報誌』の読者に一言お願いします。

吉岡 これまでは、定年までが一世一代の仕事で、そのあとは余生くらいに考えるのが普通でした。しかし、今は人生100年時代です。社会に出てから定年までの40年と同じくらいの人生が定年後にあるのです。定年後こそが、これまでの経験の上に立ってさらに飛躍できる人生で、私は“盛年期”だと思います。そう考えると、勉強で知見を拡げ、さらに働いていかなければならないと思います。それは皆様方のためにも日本のためにもそうだと思います。
 そして、鬼塚さん、私が博士号取得で投資した1千万円、死ぬまでに回収してみせますよ(笑)。もちろん税金もいっぱい払いながら。決して税金を食いつぶそうなんて思っていません。そう思うと今からの人生も楽しいものです。

鬼塚 すばらしい人生観です。老人は山を下りるだの、そういうことばかりが昨今言われています。私も将来、吉岡さんのような考え方を持ちたいと思います。本日はありがとうございました。

吉岡 ありがとうございました。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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5. 人生をそろそろまとめよう。

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

5. 人生をそろそろまとめよう。 5. 人生をそろそろまとめよう。

 自分とはいったい何者なのか? ハムレットのセリフではないが、それが問題だ。
 今回は、自分の半生を文章にし、世にくっきりとその存在を残すことをおすすめめしたい。
 物心つく頃から人は、いったい自分は何者なのかと何度も自問する。人生が終盤にさしかかってもその答えには行き着かない。おそらく、どうあがいたって死ぬまで答えなど出ないだろう。どこかの時点で人生を振り返ったほうがいい。

 私は作家のエージェントという仕事をしている。私を含めて7人の社員で年間80冊ほどの書籍をプロジュースする。時には、人の半生を振り返るような伝記も作る。
 たとえば、在日韓国人でバイオリン製作者の陳昌鉉氏の半生を聞き書きし、「海峡を渡るバイオリン」(河出書房新社)という書籍を世に出した。のちにその本はフジテレビ45周年記念ドラマの原作に選ばれ、北の国からの撮影チームでドラマが制作され、文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。
 また、およそ百歳となる、母方の祖母の半生も4日間で20時間ほどインタビューし「恋文讃歌」(河出書房新社) という小説にまとめた。終戦直後に、混乱する朝鮮半島から命からがら日本へ帰国した体験だ。この話も現在映像化が進行中だ。

 なぜ、人生の足跡を世に残した方がいいかというと、人が経験したことは、ある意味、書物で学んだこと以上に価値のあるものであり、人々の記憶に蓄積され、共有されるべきだからだ。
 人は学ばなくてはならない。それは、先輩たちが作ってくれた知や経験の蓄積をさらう作業であるとともに、さらにそれに上積みし、後世の人たちが読み、疑似体験が出来るようにする。知だけではない。経験もこれからを生きる者たちには、きっと役に立つはずだ。この世に生を受け、体験したこと学んだことを世に還すということ。
 それには大きく2つの問題がある。ひとつはどうやって文章を書くかという問題。それと、その文章をどのように後世に残すかという問題。

文章の書き方

 まずは文章の話。
 人は自分の人生を語りたがる。それに従い、産まれた時から今までの出来事を時系列に従って書く人が多い。これではまったく焦点が定まらない。あなたは満足かもしれないが、あなたの文章には誰も興味を示さず、誰も読まない。
 肌感覚で、他人は自分の何に興味を持つかは知っているはずだ。例えば、60歳の時、高齢者オリンピックで金メダルをとった話とか、教師歴30年で東大に何十人も合格させた話とか。その特異なところを中心にして深掘りして書くのだ。けっしてどうでもいい話を書いてはいけない。
 かといって、書き方を間違えると自慢話ばかりになってくる。自分が言いたいことばかりを書くのではなく、読む人が読みたいことを書くのだ。試しに周囲に聞いてみたらいい。私の何が知りたいか? と。おそらく言いたいことと違う答えが返ってくるはずだ。私が人の企画書をいじるとき、8割がここに起因する。

 ここで、ちょっとしたテクニックを教えたい。これは私が著者デビューする作家の卵の方々に伝えていることだ。  本を世に残すのは、出来るだけ多くの人に読んでもらうためだ。つまり出来るだけ多くの人を想定読者とするが、それを念頭に置いて書きはじめると、焦点がボケたものになり、稚拙な印象を受ける。
 では、どうするかというと、実際に書くときは真逆の発想をし、この話をもっとも聞いてほしい人物をひとりに定めて頭の中に思い描く。その人物が2時間聞いて丸丸理解でき、面白いと思うように、企画書を書く。そうすると、文調や語彙のレベルも決まってくる。難しい言葉を使う必要はない。 話し言葉でいい。知性を見せる必要はない。分かりやく、面白くだ。たとえば、先の東大に生徒を入れる教師の場合だと、受験生とその親、教師を大きな層を読者ターゲットとするが、書くときはひとりに絞る。学校で自分の横に机を並べる実際の新米教師に向ける。そうすると、文章がぶれてこないし、書きやすくなる。

 では、どうやってあなたの文章を世に残すか?
 おもにふたつある。ひとつはネット上に残す場合。もうひとつは紙にして世に残す方法。もしくはその両方。

ネットで残す場合

 ざっくり言うと、ネットにはフェイスブックのように 流れていくものと、ブログのように蓄積するものがある。おすすめは蓄積するブログ、もしくは電子書籍化してアマゾンのkindleで売る方法だ。前者のブログは、無料で出来る。なかでもnoteというブログのウェブサービスなら、簡単に写真や音楽、映像なども挿入できる。手軽に売り買いもできる。電子書籍として出す場合は費用が発生するが高いものではない。ここで、おすすめするのが、原稿整理をプロの編集者に依頼することだ。ネットで「フリー編集者」と検索すれば山のように出てくるのでプロフィールを見て依頼してはどうだろうか。文章が見違えるように磨かれる。未来永劫誰かが読む可能性があるとすれば、お金がかかっても出来るだけ洗練された文章で残しておきたい。

noteは、文章、写真、イラスト、音楽、映像などの作品を投稿して公開するWEBサービス。自分の作品(ノート)は、ブログやSNSなどと同様に無料公開でき、売り買いも可能。

Kindle ダイレクト・パブリッシングのWEBサイト。
原稿さえできていれば数分で世界中に向けて電子出版が可能としている。電子書籍なので出版後もいつでも修正が可能だ。初期費用は無料。日本、アメリカ、ヨーロッパ各国など多くの国で、販売金額の最大70%のロイヤリティを獲得できる。

紙の書籍として残す場合

 自費出版と商業出版がある。自費出版は紙代や印刷代、 デザイン代など自分で払う。市場に流通させる場合、させない場合がある。印刷屋に印刷製本だけ任せ、流通させなければ安く済むが、流通まで任せるとそこらの印刷屋に任せるだけでは済まず、専門家に依頼しなければならない。軽く百万を超え、金銭的出費は免れない。
 商業出版という道もある。原稿を書き上げ、出版社の編集者に送って判断してもらうという手段をとる。誰にコンタクトするかは、類似する書籍を読み、そのあとがきに編集者への謝辞が掲載されているはずである。その人にコンタクトするのがいいだろう。まずは企画書を送ればいいのではないか。興味があれば会ってくれるはずだ。原稿を持参するか、事前に送ればいい。もしくは私たちのようなプロデューサーにコンタクトすれば相談に応じてくれるだろう。ぜひ秀逸な作品を書き、商業出版まで持っていっていただきたい。

 重複するが、誰にだって、世に残すべき経験や知識があるはずだ。
 人の体験を疑似体験すること、人の知見を吸収することは学びである。
 ぜひ挑戦してほしい。あなたの人生が他人の人生に役に立ったり、影響を及ぼしたりすることを考えると、文章にまとめることは楽しいはずだ。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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4. 正解のない問題に立ち向かう力

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

4. 正解のない問題に立ち向かう力 4. 正解のない問題に立ち向かう力

 今回は、現在、テレビや雑誌などで注目されているボーク重子さんに、学びや教育についてお話をききました。なぜ彼女が今注目されているかというと、彼女は現在アメリカ人と結婚し、ワシントンDC在住で、娘のボーク・スカイさんが2017年全米最優秀女子高校生に選ばれ、その教育方法が注目されているからです。テレビ出演、講演のお忙しい中おいでいただきました。

鬼塚 まずは、全米最優秀女子高校生を選ぶ大会とは一体どんなものなのでしょうか。

ボーク 娘のスカイが2017年に挑戦した「The Distinguished Young Women of America」(全米最優秀女子高校生)という大会は60年の伝統がある奨学金コンクールで、いわゆるミスコンとは違い、見た目の美しさではなく、知性、才能、リーダーシップなど、その子の総合力で判断する大会です。アメリカで、高校生に向けた賞の中で最も名誉ある賞で、毎年大きな話題を集めています。過去60年という長い歴史の中でも、私たちの住むワシントンDC地区の代表は過去に数回しか出場歴がなく、さらにアジア系の学生が優勝したのはわずか3回だけ。なので、スカイの優勝は稀有な例として多くの方に注目されました。

鬼塚 話を聞くだけでもすごいですね。では、なぜスカイさんはNo.1に選ばれたのでしょうか。特別な教育方法があったのでしょうか。

ボーク 娘が優勝してから「どんな勉強法を実践していたのでしょう」という質問を多方面から受けますが、残念ながらこの質問に答えることは難しい。なぜなら、私がやってきたことはそれとは全く反対の事だったからです。私は、幼児期から読み書きや計算などの詰め込み教育は一切しませんでした。娘の通っていた初等学校(日本の幼稚園生から小学校3年生までの年齢の子どもたちが通う)では、4、5歳から自分の頭で考え、意見を人前で発表し、問題を解決することを教え込みます。それには、暗記の詰め込み教育はあまり必要ない。だから、小学校に上がる年齢になっても、教科書は使わず、宿題も出ませんでした。全体的にのんびりとした印象で、笑顔の生徒達が目立ちます。それでも、皆全米トップクラスの大学に続々と巣立っていきます。

鬼塚 なるほど。日本も真似したい教育方法ですね。どうしてそんなことが可能なのでしょう。

ボーク それは「全米最優秀女子高生」コンクールでも、全米トップクラスの大学入学試験でも、審査基準として求められているのは、「正解のない問題に、自分らしく立ち向かって解決していく力」だからです。これは従来の「学力」とは違った能力です。
 これらを総称して「非認知能力」と呼びます。今アメリカでもっとも重視されている子どもの能力は「学力」ではなく、この「非認知能力」です。
 私は娘に対して一度も「勉強しなさい」といったことはありませんでしたが、非認知能力を育むことにフォーカスした教育を受けた娘は、自分のやるべきことを理解し、いつも進んで勉強していました。睡眠時間も十分にとり、ガリ勉とは無縁でしたが、高校4年間の成績もほぼすべてAでした。
 さらに娘はバレエにも全力で打ち込んでいました。バレエはもって生まれた身体が評価される厳しい世界なので親としてはさぞ辛いだろうと思う事もありましたが、どんなに高い壁であっても、問題解決のため、自ら考え、解決する強さがさらに磨かれたと思います。そういったことがコンクールでも評価されたはずです。

鬼塚 日米に、教育方法の違いはありますか?

ボーク 大きく違いますね。私は福島県出身で、結婚を機にアメリカに移住したんですが、日本の教育を知る私は、当初、アメリカの教育とのギャップに驚きました。日本では学校=勉強。九九を呪文のように唱え覚えます。宿題も出ます。先生から「やりなさい」と言われたことをやる。そして「言われたようにやる=いい子」です。そういうものだと思って娘の幼稚園に行ったら全然違ったんです。 
 先ほどもお伝えしたように、アメリカで重視されるのは子どもたちが世界で生きていく上で必要とされる力です。
 ですので、子どもに「やりなさい」「こうしなさい」と言うのではなく、「私はこうしたけど、あなたはどうしたい?」と考えさせます。先生や大人が絶対ではなく、子どもに自ら考えさせます。
 日本では親や先生のいう事に意見をすると「反抗」「口ごたえ」と言われがちですが、アメリカでは意見することが評価につながります。

鬼塚 ボークさんはお子さんの教育にも熱心ですが、それ以上にご自身の人生も大事にしていて、勉強も続けていらっしゃいますね。

ボーク そうなんです。人生100年時代と言われるようになって、子どもが巣立ってもまだあと半分。丁度折り返し地点に立っているにすぎません。なので今までやりたいなと思っていたことに挑戦しています。それに、子育てしていると子どもの成長を日々目の当たりにするので、親も一緒に成長していかないといけないと思う。子どもに自分の背中を見せたいと思うんですね。でもそれは何もかっこいい背中だけじゃない。私はむしろかっこ悪いママで、ダメなところもいっぱいある。何かやるとすぐ壁にぶつかってしまうんですね。でもその度に娘や夫に「今こういうことになってるんだけど、どうすればいいと思う?」と聞きます。すると二人とも真剣に考えて、素敵なアドバイスをくれるんです。

鬼塚 この冊子のテーマは生涯学習なのですが、ボークさんご自身はどういったことをされていらっしゃいますか?

ボーク 私はライフコーチという仕事をしているのですが、日々勉強です。色々なシチュエーションがあるので、色々な先生にお話をききに行ったり、本を読んだりしています。これは日々の習慣ですね。
 キャロル・S・ドゥエックの『マインドセット』とダニエル・ゴールマンの『エモーショナルインテリジェンス』(EI)は何度も読み返しています。日本ではEQとして知られていますね。この勉強は私自身のために使っています。私のマインドセットがポジティブで、かつEI値が高ければ高いほど、クライアントさんにとってもいいんです。
 読書は他人の経験を学べるのが大きい。自分で経験できることは限られていますが、読書は他人の経験を疑似体験できます。コーチングの仕事は、自分の中に知識があればあるほど応用ができます。クライアントは個性や状況、目指すゴールが一人一人すべて違うので、その時に的確に方向性を示せるように知識を蓄えておきたいと思っています。読書はこれからも続けますし、皆様にもおすすめです。

鬼塚 本日はお忙しいなかありがとうございました。

ボーク重子さん著書

『世界最高の子育て――「全米最優秀女子高生」を育てた教育法』(ダイヤモンド社)
「学力テスト」ではもう生き残れない。世界でいま最も重視されている、「子どもに必要な5つの資質」を伸ばす方法!

『「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0〜10歳の家庭教育』(小学館)
「全米最優秀女子高生」を育てた日本人ママの実践的ルール集。2020年教育改革で親に求められる「5つの知識」

『世界最強の子育てツールSMARTゴール 「全米最優秀女子高生」と母親が実践した目標達成の方法』(祥伝社)
子供の成功は、「 親のタイプ」で決まる! 「自らやる子」を育てるために、今日から家庭でできることとは?

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
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3. 思考の幅

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

3. 思考の幅 3. 思考の幅

 ふと考えた。「鬼の学び」などという大仰なタイトルを掲げさせてもらったが、そもそも学びとはいったい何なのか。

 学びには主に「知ること」、「考えること」、「思考の幅を拡げること」の3つの面があるように思う。サッカー少年だった私はよく物事をスポーツになぞらえるのだが、知ることは筋力をつけること、考えることは技術を習得すること、思考の幅を拡げることは柔軟性を高めるストレッチのようなものだ。この3つをバランスよく鍛えることで、学びは深まっていく。

 ところが、日本人の口から発せられる「学び」という言葉は、多くの場合、「知ること」と「考えること」を意識したものであって、思考の幅を拡げるという面に考えが及んでいないように感じる。日本は教育制度からして、良質の官僚や社員を育成することを目的としている節があるので、必然的に知識を増やし、思考力をつける教育に主軸が置かれ、思考の幅を拡げることはないがしろにされるのだ。幅を拡げることは批判精神につながりかねないため、むしろ疎まれる傾向すらある。

 学びについてこうした思いを持つようになったのは、大学生のときだった。テレビ朝日「朝まで生テレビ」で、誰だったか出演者のひとりが「日本人はもっと思考の幅を拡げるべきだ。そのためには日経、読売、朝日、毎日、赤旗、産経新聞の新聞各紙を読めばいい」と言っていた。それぞれ経済、中道、リベラル、保守を代表する6紙である。なるほどと膝を打った私は、さっそくその言葉に倣った。結果、たしかに思考の幅が拡がった。

 それから暫くしてイギリスに語学留学をするのだが、何でも見てやろうという気持ちが強くなっていたので、前回も触れたように、その前後に世界40カ国を旅して回った。この旅こそ真の学びの場だったと、いま振り返って思う。私の思考の幅などまだまだ狭く、しょせん日本人の考える範囲内だと思い知らされた。世界の人たちの考えは、さらにその外にあったのだ。

 例えば、喜捨を得んがために自らの子の腕をへし折るインドの親を見たとき。日常会話を楽しみながら、壁も仕切りもない便所で躊躇なく排便できる中国の人々を見たとき。銃を持つことが法で正当化されている国家アメリカで本物の銃を見たとき。四六時中テロの危機にあるイスラエルで、ライフルを肩に下げ「国家を守る」と真剣な目で語るユダヤ人と対面したとき。サッカー観戦のためだけに生きていると言っても過言ではないイギリスのフーリガンと話したとき。銃で政権を倒すことに人生を賭けるパキスタンの反政府ゲリラと出会ったとき。ウォッカが体から抜けることのないロシア人の酔っ払いと語り合ったとき。隣国が戦時下にあり、いつ戦火に巻き込まれるやもしれぬ恐怖に怯えるマケドニア国民と話したとき。大麻を育てているタイ山岳地帯のカレン族の村を訪れたとき。

 日本にいては決して知ることのなかった世界を目の当たりにして、自分がいかに小さな箱の中にいたのかを知るに至って、思考の幅を拡げるには海外のことを知らなければならないと痛感し、以来、できるだけ海外のメディアを読むようにしている。最近では言葉の問題も、多くのメディアがネットで日本語版を発行しているので解決している。以下に挙げるのは私が好んで読んでいる世界の5紙だが、すべて日本語で読める。

BBC (https://www.bbc.com/japanese)
イギリス公共放送の日本語サイト。イギリス国内に留まらず世界中で観られているテレビ番組だけあって、もっとも平等に世界を伝えている。ステレオタイプな視点はない。

朝鮮日報(http://www.chosunonline.com)
韓国最大の発行部数を誇る『朝鮮日報』の日本語サイト。韓国の幅広いニュースを届けている。韓国の社会全体が日本を強く意識しているのが分かって面白い。

人民日報(http://j.people.com.cn)
中国、というより、中国共産党のメディア。プロパガンダと言われる。確かにそうなのだが、プロパガンダだとわかったうえで読めば特に害はない。むしろ日本のメディアのほうがよほどプロパガンダだと思うことさえある。

スプートニク(https://jp.sputniknews.com)
ロシアの通信社。Voice of Russiaを前身として2014年に設立された。東西冷戦は終わったが、日本は元々西側国家の一員。敵対していた東側の中心的存在だったロシアの思考は、今でもかなり興味深い。

ウォールストリートジャーナル(https://jp.wsj.com)
 WSJはアメリカでも知識層が読む、かなり良心的なメディア。もちろん視点はアメリカ寄りだが、リベラルなのでアメリカファーストではない。

(WSJ以外は無料)

 それでは、ここで実際に読み比べてみよう。最近の日本関連トピックといえば、やはり全米オープンテニス2018での大坂なおみ選手の優勝だろう。

 まずはBBC。一般的にテレビというのは、新聞に比べて深堀りしないメディアだ。しかしBBCは違う。しっかりと分析を加えている。まず、大坂なおみのストレート勝ちを報じ、セリーナ・ウィリアムズのスポーツマンシップに反する行為にさらりと触れ、大坂は日本人とハイチ人のハーフでアメリカ育ちであることを伝えている。次に、安倍首相のツイッターを画像で載せて、どう賛辞しているかを伝え、日本で最も発行部数の多い読売新聞の「コートでの強さと天真爛漫さのギャップが魅力」というコメントも紹介している。続けて早稲田大学の松岡宏高教授の言葉を引用し、国際結婚が増えた日本では、その子供がスポーツの世界で結果を出すようになったとして、陸上のケンブリッジ飛鳥、野球のダルビッシュ有、柔道のベイカー茉秋などにも言及している。

 次に朝鮮日報だが、さすがはロマンチック映画大国、かつ世界一教育熱心な国だけのことはある。大坂の両親が日本でどのようにして知り合って結婚したか、どういった子育てをしてきたかに重点を置いて報じている。記事によると、「2人は大阪市内の英語学校で知り合って結婚、娘2人に恵まれ、次女のなおみが3歳の時に米国に移住した。『なおみ』という名前は国際的に活躍できるよう黒人のスーパーモデル、ナオミ・キャンベルにあやかって付けたという。両親はリビングルームをテニスコートのように飾り付けて子どもたちを遊ばせていたが、大坂が才能を見せるや思い切って米国移住を決心した。父親は米国で有名テニス選手たちの試合の雑誌やビデオを入手して自ら指導した」とのこと。

 人民日報もまたさすがと言うべきか、大坂なおみは「グランドスラムの女子シングルスで優勝を勝ち取ったアジアの選手としては中国の李娜選手に続いて2人目」だそうだ。あくまでも中国人が初、日本人は2番めだということだ。ほとんどの日本人は知らない情報だろう。

 ロシアのスプートニクは「だが、注目を浴びたのは大坂選手の優勝ではなく、審判に暴言を浴びせたS・ウィリアムズ選手のヒステリーだった」と、まずは嫌いなアメリカをやんわりと批判。次に「大坂選手は、コートに入ったらS・ウィリアムズ選手のファンではなく、ただのテニス選手になるが、試合後にS・ウィリアムズ選手とハグした時には、同選手に憧れていた子供の頃の気持ちになったと語った」と、日本人である大坂には好意的ともとれる報じ方をしている。実は、東西冷戦の間、日本にはソ連(ロシア)の情報はほとんど入らなかったが、実はけっこう親日であることがスプートニクを読んでいれば分かる。アメリカよりよほど親日的だ。

 最後にアメリカの代表、ウォールストリートジャーナルだが、経済紙だということもあり、特段の言及はなかった。第一、アメリカ人は我々が思っているほど日本人に興味を持ってはいない。日本など、アメリカにとっては数多ある諸外国のうちのひとつでしかないのだということが、こうした扱いの中からもうかがい知れる。

 いかがだっただろうか。ある特定のトピックについて、世界ではどう報道されているかを知る面白さが伝わったなら嬉しく思う。
 思考の幅を拡げるストレッチとして、ぜひ皆様にもお勧めしたい。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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2. 旅は学び?

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

2. 旅は学び? 2. 旅は学び?

私は今インドネシアのバリ島にいる。
そう言うと、うらやましいという声が聞こえてきそうだが、そういうわけでもない。尻に火がついている状態なのだ。強引にでも、東京から離れないと仕事をこなせなくなった。

 たった7人の会社でも、経営していると日々雑多な仕事が舞い込んでくる。出なければならない会議の他に、社員が破裂しそうな爆弾を抱えてきたり、突然の打ち合わせが入ったりで、集中して文章を書く時間がまったく取れないのだ。今年の10月にはシェークスピアの戯曲を翻訳し、小説化して出版する。他にも 12月に催される舞 台の構成を練って脚本を書かねばいけないし、更に来年には明治維新の猿楽町を舞台にした時代小説の出版も控えている。もちろん本誌7月号の原稿も疎かにはしない。もっか時間の確保が必要なのだ。というわけで、執筆するために日本を抜け出てきたわけである。

インドネシアの棚田で農夫と写真を撮ってみる。
インドネシアのチャダンスの最中。踊り手はトランス状態に入る。

 旅をして思うのは、旅こそ学びであるということだ。最近、大学からお誘いを受け、学生を前に話すことが多い。大学生には「旅をしろ!」と強く言う。学校で机に座って話を聞くより、旅に出る方が学びが多い。私は大学の在学中に世界中を10数カ国放浪し、大学を卒業してからも就職せず、 数カ国を3年間ほどかけて旅した。正直、幼稚園から大学まで40年近く机上で学んだことよりも、旅先で学んだことのほうが多いと思っている。世界中の文化を見て、考え方を知る。そうすると外から日本を考える。結果、思考の幅が拡げられる。

 旅をして得られる一番のものは、世界中のひとと議論する機会だ。今日は6月15日。宿には、世界中から来た若者の長期滞在者が多く、彼らと話すと、予想通りロシアワールドカップと、トランプと金正恩との対談が2大トピックだ。しかし同時に、日本に関心が向いているのを肌で感じる。

 日本について尋ねると、初めは「歴史がある」「礼儀正しい」「ポップだ」など耳障りのいいことしか言わない。しかしだ。話し込むと案外否定的な言葉も出てくる。あるドイツ人の青年が日本について「日本は、礼儀正しくいい国だが、衰退に向かっていると聞く。一番の問題は急激な人口減少にある」と言った。するとカナダ系中国人が言った。「日本は確かに自由主義だけど、目の前に ある小さな問題のひとつも解決できない。中国は、独裁主義という問題はあるけれど、子供が多いと思えば一人っ子政策。少ないと思えばまた逆の政策を取る。程度の問題はあるが、重要な問題が解決するなら強引さも悪くない」。まさしくその通り。日本の目の前には、かなり深刻な問題が立ち塞がっているのに、政府は何も出来ないでいる。こんなときこそ、視点をぐいっとほかに引いて見たほうがいい。

 人口減少のことを考えると、いつもバッファローのことを思う。バッファローというとアメリカ大陸の野牛だが、実はヨーロッパにもポーランドの北部に生息する。アメリカのバッファローは個体数が多く、管理など出来ないので、野放しの状態。狼の群れも同じ場所に生息していて餌食にあうこともある。人が護るわけでもなく成り行く自然の摂理に任せている。

 一方、ポーランドのバッファローは違う。ヨーロッパに少数しか棲まないのでやたらと大切にされている。餌のない冬の時期には森のあちこちに置かれている餌箱に、人間が餌を補充する。さらには、北米大陸のバッファローと違って、天敵の狼がいない。こうなれば、ねずみ算式に繁殖してもいいようなものだが、実際は逆で、個体数は着実に減っている。専門家によると、食べ物の心配もない、天敵もいない、ということは、逆に生きる力を奪うのだそうだ。

 人も同じなのだ。父の話を思い出す。父は9人兄弟の6番目だった。父に、なぜそんな大家族だったのか? と聞いた答えは、「戦争が起こっているから、いつ戦争に駆り出されるかわからないだろ。だから9人のうち半分戦死しても4人か5人は残る。あの頃は食べるものがなく、餓死もあったから、さらに生き残れない。9人くらい産まないと家が途絶えるだろう」というものだった。その話を聞いたときは、戦争の恐さしか感じなかったが、今思い返すと、生きることに負荷がかからないと人口は増えないというのは正論かもしれない。もちろん戦争を肯定などしないが。

 この話は、サッカー日本代表育成の議論にも似ている。サッカーでプロになり、日本代表に入るにはふたつの道がある。ひとつは、Jリーグの下部組織のクラブに入って進む道と、もうひとつは学校の部活でサッカーを続け、卒業後プロに入る道。ざっくり言うと、前者はライセンスを持つコーチが理にかなった合理的な練習をする。後者は、もちろん試合に勝つための練習はするものの、先輩の理不尽ないびりにあったり、コーチのきまぐれとしか思えない無謀な特訓が始まったりする。理屈で考えれば前者のクラブチームから優秀な選手が出てきそうだが、日本代表の多くは、後者の部活上がりが多い。それは何故か。後者はサッカーを続けるためにかなり負荷がかかっているからとしか説明付けられない。

 このように、旅に出ると余裕ができ、日本人と思考の違う外国人たちと議論ができるだけでなく、過去に聞いたこと、読んだことを記憶の引き出しから引き出しやすくなる。ストレッチをして手足の稼動領域が広がって気持ちよくなるように、思考が広くなったようでこれまた気持ちよくなる。そして、その巡る思索を、このように文章に書き起こすと、それまた楽しく、最高の学びとなる。

 生涯学習とは、生涯旅に出続け、感じ、考え、思索を巡らすことだと思うのだ。そして、できるなら、交わした議論、巡らした思索を文章にし、世間に公開してみて はいかがだろうか? その場合、いいのはブログだろう。既知の知人だけしか読まないSNSだとあまりにつまらない。

 机上で本を読んだり、権威のある先生方の話を聞いたりするだけでは、あまりにも浅すぎるし、つまらなさすぎる。

 最後に、私の中で、旅の思索を綴った良書を紹介したい。

●村上春樹「遠い太鼓」(講談社)
40歳になろうとしている著者が 、ギリシャ・イタリアを旅しながら、「ノルウェイの森 」「 ダンス・ ダンス・ダンス」を書きながら綴った旅エッセイ。

●司馬遼太郎 「アメリカ素描」(新潮社)
司馬遼太郎氏がはじめて、人工的に出来たアメリカに行った際に感じたことを書いた雑文。

●藤原新也「インド放浪」(朝日新聞出版)
不思議な感覚を持つ著者がインドを旅して思ったことを綴った旅エッセイ。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
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1. 生涯学習って何?

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

1. 生涯学習って何? 1. 生涯学習って何?

 先日、新聞の紙上で、「何のために勉強するのでしょうか」という少年の問いに対し、著名な教育者が、「勉強は将来の職業の選択肢を増やすものです。頑張れ!」と答えていた。その時は何の疑問もなく正論だと思ったが、こうして生涯学習についての執筆依頼がきて、あらためて「学ぶとは何か」を考えてみると、私なりの学びの理想像が見えてきた。
 学びとは、ただ純粋に知的欲求を満たすための行為ではないだろうか。将来の自分に寄与しなくても、仕事の選択肢が増えなくても、人生の無駄になっても、それはそれでいい。人生が豊かになれば。
 学ぶということはかなり楽しいことで、頑張る必要もない。頑張れ! ではなく、楽しめ! がふさわしい言葉のように思える。

 元来、私は理系で、歴史が嫌いだった。ところが、今では歴史好きとなり、それが長じて『花戦さ』(角川書店)という歴史小説を書いた。もしかすると嫌いだった原因は学校の授業にあったかもしれない。先生が話す歴史の内容は面白いが、話し方がつまらないのでかなり退屈していた。
 そのことがずっと頭の片隅に引っかかっていたのだが、2年前、その解決策が浮かんだ。坂本龍馬や、徳川家康、マリーアントワネット、クレオパトラ、織田信長、千利休といった過去の偉人たちをタイムマシンで現代に呼び寄せ、彼らに歴史(いや、彼らにしてみれば当時の状況なのだが)を一人称で語らせるという企画だ。これなら、脚本を書く自分も、公演を見に来るお客さんも楽しみながら学ぶことができる。

 

①私と徳川家康との対談。徳川家康に学ぶべきは、失敗から学ぶ力。 ②織田信長の戦国時代講義 ③幕末、慶応3年11月15日の日中から現代にタイムスリップした坂本龍馬。そう、その日はあの日なのです。

 

 私は思いついたら実行しないと気がすまない。さっそく「劇団もしも」と命名して、明治大学の大人のための課外講座シリーズで公演を催したら、好評を得た。イケメン武将集団として活躍する「名古屋おもてなし武将隊」とコラボするなどの広がりを見せ、今では日本全国のイベントや学校に呼ばれるほどである。今年も、東京と名古屋で開催するつもりだ。
 偉人たちを演じるのは、もともとは梅沢富美男の梅沢劇団元劇団員であり実力派俳優の速水映人。女役も含めて老若男女を演じ分けることができるので、坂本龍馬として刀やピストルを振り回したかと思えば、マリーアントワネットに扮してフランス革命を背景に平和や博愛、平等について語る。クレオパトラになった時は、国家を統治することとカエセルたちとの愛を両立させる方法を艶やかに語って観客を魅了した。

   

④マリーアントワネット。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったとか、言わなかったとか。 ⑤クレオパトラは、愛と政治を語った。 ⑥歌舞伎の始祖と言われる出雲阿国(いずものおくに)

 ときには、呼び出す偉人をふたりにして、1 つのテーマについて討論させたりもする。
 たとえば、前回の公演では、江戸幕府を開いた徳川家康と、江戸幕府を終わらせようと奔走した坂本龍馬を過去から呼び寄せ、江戸時代とは何だったのかを議論させた。はじめ家康は、命をかけて作った江戸幕府を終わらせようとする龍馬に怒り狂う。しかし討論が進むにつれて、この日本を守り、平和な世を作るために倒幕は必要だと説く龍馬に共感を覚えるようになる。そして、家康や龍馬に、太平洋戦争では、アメリカを相手にたった二発の爆弾で日本が滅びそうになったことを聞かせ、ふたりそれぞれの立ち位置から戦と平和について語ってもらう。最後には、現代の日本の状況についても聞かせ、これがふたりの望む日本だったかを観客と共に検証する。

 また別の公演では、織田信長と千利休を現代に呼び寄せて、裁判を開いた。織田信長が行った名物狩りは犯罪ではないのかと、利休が恐れながらも裁判官に訴える。「名物狩りは強制的で犯罪にほかならない」とする利休に、信長は貨幣経済の有効性を説き、茶器や絵画などの名物を買い上げて貨幣を流通させ、物々交換から脱却させたことで経済的に裕福な世になったと主張する。裕福な数人のわずかな不幸より、全体の幸福を優先するべきだという。観客は陪審員となり、訴えの是非を決めるという内容だった。
 そもそも歴史は試験のために覚えるものではなく、過去の事例を判断材料に、私たちの生きる世の中、またはこの先の将来をどう変えていくか考えるために勉強するものだ。

 

⑦織田信長と千利休が時空を超えて裁判で争う!? ⑧左から、織田信長、著者、千利休 ⑨徳川幕府を開いた徳川家康、終わらそうと奔走した坂本龍馬 ⑩坂本龍馬が千葉県の中学校でいかに生きるかの講義

 こうして改めて歴史の断片を劇にして、一人の人間として書いてみると、「ああではないか」「こうではないか」と、いままで考えもしなかった関連情報や時代背景が見えてくる。そうなると、教科書には書かれていないことを調べる必要が出てくる。偉人になりきってどう行動したかを想像するのは面白いし、その結果、平面的であった教科書がリアルに感じられ、立体的な視点で社会を見られるようになった。こんな風に、大人ならではの楽しい学びの体験ができた。

 生涯学習とは、無理やりに勉強するものではない。決してストイックになる必要はなく、あなたはあなたの方法で、あなたの興味の赴くままに、学びを楽しんでみてはどうだろうか。

「劇団もしも」の公演情報はこちら

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
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