生涯学習情報誌
鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―
16. トヨタのおもてなし
中学2年でホテルマンデビュー
トヨタといえば世界の誰もが認める日本の自動車メーカー。2021年、自動車販売台数において、ドイツのフォルクスワーゲンとデッドヒートを演じ、1050万台を販売し、2年連続で世界一の自動車メーカーとなった。しかし、ここ自動車業界において、あらゆる不確定要素が噴出してきている。コロナとそれに伴う半導体不足、ウクライナ戦争、気候変動による石油燃料に頼らないEVカーへの転換。世界一のトヨタであっても、けっして美しい未来は描かれているわけではない。
そんな中、最近、そのトヨタが経営するホテル「テラス蓼科リゾート&スパ」の支配人まで上り詰めた後に退職をし、その経験をもとに、トヨタを新しい「おもてなし」の側面から描いた書籍『レクサスオーナーに愛されるホテルで学んだ 究極のおもてなし』(KADOKAWA)を上梓した馬渕博臣氏に話を聞いた。
鬼塚 馬渕さん、このたびは、今まで誰も書いてこなかった「おもてなし」という観点からトヨタを論じた書籍を上梓されましたね。おめでとうございます。まずは軽く略歴などを教えてください。
馬渕 はい。地元は名古屋で、中学2年に接客業に足を踏み入れました。14歳の時に、名古屋駅近くのホテルやまむら(現パレスホテル名古屋)で働き始めたのがサービス業との出会いです。日本最年少ホテルマンデビューと自称しています。そのホテルで3年間働いた後、高校2年生の時に串揚げショットバーで、22歳で大学と掛け持ちで寿司屋、26歳でホテルマンとして働き始めました。そして、2005年3月よりテラス蓼科リゾート&スパの運営会社である株式会社トヨタエンタプライズに入社。スタッフのおもてなし教育、VIP顧客対応、料飲部門を主に担当。セールス&マーケティング担当支配人となりました。
トヨタにとって、車はあくまで手段
鬼塚 トヨタのホテルに行きつくまでにかなりの経験を積んでいますね。それが若くして支配人を務めるまでになった理由でしょうね。さて、トヨタはもちろん車のメーカーですが、馬渕さんの目に映るサービス業としてのトヨタという会社はどういうふうに見えていますか?
馬渕 もちろんトヨタは自動車メーカーです。いわゆる製造業で、サービス業とは一見、真逆の企業のように見えます。しかし、実は、製造業であってもサービス業であっても根本は同じで、何をするにせよ、トヨタの名を掲げて商売するのであれば、顧客ファーストの哲学が徹底されています。とにかく顧客満足度にこだわるのがトヨタです。
トヨタ車に抱くイメージ「性能がいい」「信頼性が高い」「快適だ」「燃費がいい」、これは長年努力し、トヨタが社会から勝ち取ったイメージですが、サービス業においても同じことを目標としています。
例えばトヨタのホテルであるテラス蓼科のレストランのワインリストは一部海外のワインを除いて、生産者や生産現場に担当者が赴かないとリスト化しないという原則をつくりました。食材もとにかく生産者を訪ねる。生産されている現場を確認する。そこまでして採用不採用を決定する。そこまで顧客のためを思って行動するからこそ、顧客へ“おもてなし”をしているという実感がホテルマンに湧き、徹底した顧客目線を貫けるのです。2005年当初ホテル業において、これだけ現場に足を運んでいるホテルはなかったと思います。トヨタのおもてなしの自負があったからこそ、現場にとにかく行って現地現物をすることが許されました。運営会社である株式会社トヨタエンタプライズの役員はみなトヨタマンですし、お客さまもみな現役のトヨタ自動車の役員、社員、トヨタグループの一員で、この仕事に関わる人の全てにその哲学は共有されています。
「トヨタの車」であろうと、「トヨタのおもてなし」であろうと顧客に満足してもらう。同じことです。
鬼塚 トヨタのおもてなしって簡単にいうとどういうものですか?
馬渕 顧客へのおもてなしの心を養うということでしょうか。創業以来、努力の甲斐あって、テラス蓼科の評判も高まっていきました。開業後数年して、トヨタやレクサス車を販売する際に、テラス蓼科の宿泊券を、購入動機の一環としてオーナーにプレゼントするトヨタ販売店が出てきました。トヨタはいい自動車を製造販売する会社であるとともに、顧客を満足させるサービス業でもあると顧客に感じてもらうためにです。おかげさまで、テラス蓼科宿泊券付きで新車のプロモーションをすると、新車販売の新記録を達成したことがあります。結局のところ、車はあくまで手段なので、目標は、顧客がいかに快適に過ごせるかが大事なわけです。
究極のおもてなしと顧客ファースト
鬼塚 今後のトヨタはどうなりますか?
馬渕 もちろん自動車メーカーであり続けるのでしょうが、自動車メーカーであるとともにサービス業でもあると思います。つまりは、いずれも顧客満足度を高める。同じことです。トヨタが顧客ファーストと向上心を忘れない限り、車の形態が“走るスマホ”になろうと、EVになろうと、トヨタは世界の顧客に、文化や宗教、国籍、人種を超えて、満足を届け、トヨタであり続けると思います。
そのためには向上し続ける気持ちが必要です。トヨタ用語でいうカイゼンです。こんなことがありました。トヨタの黄金期を築き上げたトヨタ自動車のOB会64の会(1964年入社組、通称ムシの会)のあるエンジニアの方がこんなことを言いました。「日本ワインは欧州のワインの質に随分近づいたみたいだけど、トヨタを含めた日本車はまだまだ欧州の車の足元にも及ばないよ」と言っておられました。5月11日に発表された2022年3月の決算は純利益が26・9%増の2兆8501億円で過去最高になりましたが、それでもなおトヨタはまだまだだと向上し続けるのだろうとトヨタの強さを思いました。
豊田章男社長の米国バブソン大学卒業式のスピーチにもあったように「謙虚こそがトヨタウェイの真髄である」と言っていることも向上心を養っているのだと思います。
鬼塚 最後に一言。
馬渕 これはトヨタのおもてなしについて書いた本ですが、当然のこと、トヨタの宣伝が目的ではない。トヨタが経営するテラス蓼科で得た経験をもとに私が考える「究極のおもてなし」を書いたもので、「顧客ファースト」の考え方は、読んで参考になるはずです。少しでも皆様の役に立つことができれば幸せです。
馬渕博臣(まぶち・ひろおみ)
元株式会社トヨタエンタプライズ・テラス蓼科リゾート&スパ支配人(マーケティング戦略担当)。1973年愛知県名古屋市生まれ。14歳にして地元ホテルで“日本最年少ホテルマン”デビュー。2005年のテラス蓼科開業当初よりスーパーバイザーとしてスタッフ教育などを主に担当。2021年2月、株式会社トヨタエンタプライズ退社。現在、ホスピタリティソリューションカンパニー、株式会社Minaera代表取締役。トヨタウェイKAIZEN視点でおもてなしを分析するユーチューブ「OH!!motenashi チャンネル」主宰。
鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、ベストセラー作家を担当しながら、自身も執筆活動を行っている。
著書:『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
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