生涯学習情報誌

鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―

11. 人が簡単には死なない時代に 11. 人が簡単には死なない時代に

医療が高度に発達している現代に、なぜこうも新型コロナは恐れられるのか。認知症やがんは完治させることができるのか。私たちの健康と医療に関するさまざまな疑問を医学博士の奥真也氏に伺った。

右)奥 真也 医師、医学博士 経営学修士(MBA)

今後20年で医療はこう変わる。
医療は大きく変わり、人を苦しめた病の多くは治癒可能になり、それゆえに死生観も変わっていくという。『未来の医療年表』(講談社現代新書)の著者・奥真也先生に今後の医療について聞いた。

鬼塚 奥先生は医学博士で、このたび『未来の医療年表』を上梓しました。おめでとうございます。先生は書籍の中で「医療は完成期」を迎えつつあると言っていますがどういうことですか? とても興味あります。先生は何者かですか? という質問と一緒に答えていただけますか?

 ありがとうございます。私は、昭和最後の卒業生として、1988年に医学部を出て、放射線科の医師として働き始め、がんの研究などをしていたのですが、だんだんと個別の医療よりも社会における医学・医療のことに関心が向くようになりました。途中で、経営学修士(M BA)をとるなど、医学以外の知識も広げていくように努力しました。その後、50歳になってから、外資の製薬機会社や医療機器会社、コンサルティング会社などに勤務するなど、医療をいろいろな方向から見る機会があり、自分の中で現代医学に対する世界観が構築されてきたのだと思います。
「医療は完成期」ということですが、歴史的に、人類はコレラ、ペスト、スペイン風邪…といった感染症や、がんなどいろいろな病気を克服してきました。21世紀に入るころから、遺伝子を解析する技術が急速に発達し、人類はそれを用いて病気への理解を深め、ついには病気をほとんど治してしまうことができる「完成期」に医療を進化させたのです。

鬼塚 なるほどですね。では、なぜ完成しそうなのに、今回の新型コロナウイルスに世界はなぜこうもてこずっているのですか?

 新型コロナウイルスの「感染症としての実力」はべらぼうに凄いものではありません。そのことは私だけではなく、多くの医師に共通した印象なのだと思います。さっき挙げた「歴代の感染症」と比べると、感染者数も、死者も多くはありません。例えばペストは、当時のヨーロッパの人口を4分の1か3分の1くらいも減少させた と言われていますが、そういう病気と比べるようなものではないのです。

しかし、先進国を中心に、医療がすでに相当に発達していることを知っている人類は、こんなに医療が進んでいる現代に、感染症ぐらいでは死にたくない、医療がそのうちなんとかしてくれるだろう、と思い、その思いがゆえに、余計に恐れるという状況になっているのです。

今回、ウイルスの遺伝情報が最初の患者さんから2ヶ月も経たずに明らかになり、世界の感染の広がりの様子やさまざまな情報がインターネットで全世界をぐるぐると飛び回り、医学が進化しているがゆえの裏腹な脅威が増長することになってしまっているのです。こういう状況を捉えて、インフォデミック(情報災禍)というような言葉も使われているのは皆さんご存じだと思います。

鬼塚 なるほど。先生は書籍の中で、今後10年で医療は大幅に変わると言っています。例えば、本格的な認知症の薬も出てくる。糖尿病も治るようになる。これらは画期的な話です。その信憑性と、どういうことか説明してもらえますか?

 まず、認知症については、現在、認知症の症状進行を食い止めたり、治したりする薬の開発は世界中で活発に行われています。原因物質が何であるか、認知症という病気の本質は何かということがわかってきたということでもあり、原因物質に対処する薬は間もなく世に出てくると思われます。それが本格的な薬という意味ですが、 認知症については、まだもう一段病気のメカニズムの解明が進む必要があり、完治にはまだ時間がかかります。

糖尿病については、かつて医学者が考えていたよりも、遺伝子の関与がはるかに大きいことがわかってきています。そして、異常を起こす遺伝子の部位が特定されると、その異常部位に狙いをつけた薬を開発すればよいので、 薬を作る道筋が明らかになる、という訳です。ビッグデータの助けを借りて遺伝子の解明をさらに進めつつ、一つひとつの遺伝子異常に対応する薬を作っていく段階に入ってきていると考えています。まだ時間はかかりますが、解決への道筋は明らかです。

『未来の医療年表 10年後 の病気と健康のこと』
(講談社現代新書)

鬼塚 人類共通の敵とも言えるがんも大半は治癒可能になると主張されていますが、本当ですか?

 がんに関しては、20世紀終わりの方に進んだ技術である「分子標的薬」と、21世紀にはいってすぐに開発された「チェックポイント阻害剤」という二つの強力な武器があります。がんも糖尿病と同じく、遺伝子異常が大きな役割を占める病気なので、その異常部位を攻撃する「分子標的薬」は効果的です。これに、チェックポイント阻害剤が組み合わされて、難敵であるがんの治療が研究されています。がんは、人間が本来持っている免疫機能を「さぼらせる」というワザを持っているのですが、そのさぼらせる睡眠術のようなワザから目を醒まさせるような技術である「チェックポイント阻害剤」が有効性を発揮しているのです。

鬼塚 先生の話を信じるとかなり人の寿命は伸びそうですよね。

 そうです。人が簡単には死なない時代に入ろうとしています。寿命も当然伸びます。今や「人生100年時代」 は単なる標語ではなくなり、100歳を超えて生きる人は大勢出てきます。120歳まで生きる、ということも絵空事ではなくなってきます。そのように長く生きるからには、心身共に健康であることは、より大切になってきますよね。心身ともに健康であれば、長くなった人生を楽 しむことができます。

また、ちょっとお話ししておきたいこととして、心身が健康である、ということの意味も今後広がってきます。例えば、3次元プリンターでステーキを印刷して食べる、という技術はもう実現しました。自分と関係ない話と思われるかもしれませんが、これはカロリーもなく、硬くて噛み切れないということもないのに、食感や味、匂いなどは実際にステーキを食べるのと同じです。糖尿病によるカロリー制限や、歯の問題があっても楽しめるという訳です。こういう技術が今後いろいろ登場し、仮に体力がなくなっても、寝たきりになっても、生活を楽しめることが増えてきます。
そうなると、我々が持っている「人生観」も当然、影響を受けるのではないでしょうか。

鬼塚 ええ、そうですよね。年をとっても楽しみがいろいろあると、当然人生観は変わってくるでしょう。そうすると、死生観を含めて今と大きな違いが出てくるのでしょうか?

 人が死にたいと思うのは、自分にはもう役割もない、楽しみもない、ということなのではないでしょうか。日本人の場合には、回りに迷惑をかけたくないということもあると思いますけど。人が死にたいと思わなくなり、支える技術もある――そういう時代になる訳ですから、死生観も当然変わってくると思われます。そのような時代にあって、我々は何を目標として、どういう人生を送りたいかを、それぞれが十分に考えてみるべきではないでしょうか。ご夫婦や友人と話し合ってみるのもいいと思います。そこから新たな発見もあると思います。

健康のことは発達した医学に任せていただければ、と思います。たまに、健康のことばかり考えている方にお会いしますが、時間がもったいないと感じます。ご自分の人生を豊かにすることに専念してもらえたら、医師としてはとてもうれしく思います。

鬼塚 ありがとうございました。本日は刺激的な対談でした。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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