生涯学習情報誌
助成金支給
2022年度助成金支給者
白石 奈津栄さん(岡山大学大学院 社会文化学研究科)
【研究テーマ】
身体活動が加齢に係る変化意識「獲得」・「喪失」に及ぼす影響
―「獲得」の増加と「喪失」の低減のための生涯学習

AARCが照らす加齢の “もう一つの顔”
年を重ねることに不安や抵抗感を持つ人は少なくない。体力の衰えや集中力の低下といった「できなくなること」に目が向きがちで、加齢はしばしばマイナスの変化として捉えられている。だが一方で、人生経験を積む中で得られる強みや気づきも確かに存在する。そうしたポジティブな変化に目を向けることで、老いに対する見方は大きく変わるかもしれない。
この「加齢による心の変化」に着目した心理学的な枠組みが、AARC(Awareness of Age-Related Change)=加齢に係る変化意識である。AARCでは加齢によって「喪失」したものだけでなく、「獲得」したものにも注目する。たとえば、集中力が落ちた、体が動きにくくなったといった変化は喪失にあたるが、人の気持ちに敏感になった、感謝を感じやすくなったといった変化は獲得に該当する。獲得と喪失の二面性に注目することで、加齢を一方向的に捉えない視点が生まれる。獲得を増やし喪失を抑える取り組みは、認知症の予防やうつ病の改善、ひいては寿命にまでつながるとして注目される。
AARCを日本で本格的に研究し、社会への応用に取り組んでいるのが、当助成金申請者である岡山大学の白石奈津栄さんだ。白石さんは大学卒業後も仕事や子育てをしながら学びを続けてきた。大学院では哲学と心理学の両方を修め、現在も博士課程で研究を継続している。そうした経歴の中で感じた「人の心の変化」への関心が、高齢期の心理に焦点を当てる研究へとつながった。
生涯学習や運動は加齢をポジティブに変える
白石さんは、70歳以上の878名を調査対象に、参加者が自身の加齢についてどのような変化を感じているかを3回に渡って記録。それが生活習慣や健康状態とどのように関係しているかを分析した。最新の統計ツールを活用し、国内外の研究者と連携しながらデータを精緻に分析したことで、信頼性の高い成果が得られた。
中でも、生涯学習や運動といった活動が、高齢者自身の加齢への意識をポジティブに転じる手助けになっていることが明らかになった。たとえば、遺跡を巡る学習活動に参加した高齢者が、知的な刺激と身体的な運動を同時に得ることで、前向きな心の変化を経験していたという。こうした「心と体を動かすこと」が、加齢に対する認識を大きく左右する鍵となるのだ。
この研究成果は、老年学および老年医学の分野で最も権威のある学会の一つであるGSA(Gerontological Society of America)学会において発表し、国際学術誌『Innovation in Aging』にも掲載された。国内でも、2024年12月に岡山大学にて行われた記者発表の後、全国紙、経済紙、ニュースサイトなど、10以上のメディアに掲載されるなど関心を集めている。今後は医療・教育の現場への応用や、高齢者向けの新たな学びのプログラムの開発など、実践的な広がりが期待される。
白石さん自身も「老いは単なる衰えではなく、意味や価値を見いだせる変化でもある」と強く感じている。高齢になるほど社会との接点が限られていく中で、ほんの少しのきっかけや人との関わりが、心の豊かさを大きく変えるのだという実感が、研究の根底にあるという。
生涯学習の価値を高める企業連携やさらなる国際共同研究
AARCの知見を社会で活かす取り組みとして、白石さんは企業との連携にも積極的だ。高齢者向けの商品やサービスを開発する企業に対し、「本人が自分の加齢をどう感じているか」という心理的な視点を導入した企画提案を行っている。こうした視点は商品開発の現場に新たな発見をもたらし、単なるニーズへの対応ではなく、当事者の実感に寄り添う形でものづくりを進めるヒントとなるはずだ。

3回目の調査結果をベースにして生涯学習&お散歩の会を、大学研究室堀内教授・元岡山大学学長の槇野名誉教授率いる楯築ルネッサンス、吉備学会と共同で企画開催した。参加者は、学芸員の解説付きで遺跡ミュージアムなどを見学。その後、津島遺跡を散策するなどしてカフェに合流し、最後はアフタヌーンティーを楽しみながら交流を深めた。
岡山大学ニュース&リリース:大学院社会文化科学研究科が「津島遺跡おさんぽ」の会を開催



白石さんはさらなる国際共同研究にも意欲を示す。生涯学習が盛んなドイツの研究者たちとの連携により、文化による高齢者意識の違いを比較し、より普遍的な心理学的知見の確立を目指している。
一連の研究は単なる学術的探究ではなく、実際に高齢者が「前向きに老いと向き合い、成長していく」ための支援となるものだ。加齢に対する認識を前向きに変えていくことは、当財団の理念とも重なり、より健やかで明るい生涯学習社会への推進力になると考えられる。

