コラム

戦争を語り継ぐ演劇公演『アニーさん』

3月11日から14日までの4日間、名古屋で舞台『アニーさん』の上演がありました。
物語の元となったのは、当財団の前理事長 松田妙子の著作『私は後悔しない〜兵蔵とアニーの愛の生涯』です。アニーは妙子の大叔母にあたり、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』では主要人物の一人として登場しました。

アニーと大森兵蔵。堀邦夫氏撮影(以下同様) アニーと大森兵蔵。堀邦夫氏撮影(以下同様)

公演まで、緊急事態宣言で稽古場所の公共施設が時短となり、新型コロナ対策として劇場の客席数を半分にするなど制約が多かったそうですが、蓋を開けてみれば劇中から拍手が起こり、大盛況。13日と14日に計4回実施したオンラインでの同時配信でも、毎回90人前後の方が観劇しました。こんな状況だからこそ多くの方に見てもらえるよう、オンライン中継もテレビ局のスタッフを中心に配信チームを組んで、入念な準備を重ねたそうです。

舞台は、アニーが米国にやって来た留学生 大森兵蔵と1907年に結婚、大森安仁子と改名し日本に骨を埋めるまでを、総勢45人のキャストで一つひとつの史実を丁寧に掘り下げながら描きます。

猛反対された結婚。日本に渡り、夫婦力を合わせて社会福祉施設「有隣園」を運営。日本初参加のオリンピック選手団の監督となった兵蔵に同行してストックホルムへ。その帰途、アメリカで兵蔵が急逝(享年36)。一人残されたアニーは「兵蔵と進めていた仕事をやり遂げる」と日本に戻り、有隣園園長に。“異人のばあさん”と石をぶつけられたこともあったが、関東大震災では園を拠点に多くの被災者を助ける。1937年、日中戦争勃発。日米関係が悪化するなか、アメリカにいる姪に宛てて戦争回避を願う手紙を送り続けた……。

有隣園を立ち上げようと奮闘する兵蔵(中央正面) 有隣園を立ち上げようと奮闘する兵蔵(中央正面)
ストックホルムにて。左から兵蔵、アニー、三島弥彦、金栗四三 ストックホルムにて。左から兵蔵、アニー、三島弥彦、金栗四三
有隣園で昭和5年当時の「ひな祭り」の歌を歌う。丁寧な時代考証からも舞台にかける熱意が伝わってきた。 有隣園で昭和5年当時の「ひな祭り」の歌を歌う。丁寧な時代考証からも舞台にかける熱意が伝わってきた。

ラスト近くに、こんな台詞がありました。

「生活と人生は別だと知ることはむずかしい。
人間は豊かな生活を豊かな人生と錯覚するものだ。」

アニーの生活は困難も多かったけれど、人のために尽くした人生は豊かだったといえるでしょう。けれども、兵蔵にはもっと長生きしてほしかったに違いありません。

そんなアニーの気持ちは、演出された伊藤敬さんも想像されたのでしょう。終幕直前、兵蔵とアニーは、仲良くいっしょに登場します。「名古屋国際ウィメンズマラソンを見てきました!」(回によって内容は微妙に変更していた)と報告する兵蔵と、横にいるアニーの輝くばかりの笑顔。そこにはまさに快活でパワフル、人が大好きだったアニー本人がいました。  

2020(令和2)年度、博士号取得支援事業の合格者 葛岡功弥子(くずおか くみこ)さんは劇場でご覧になり、感想をメールで寄せてくれました。

「大森御夫妻の日本社会への御貢献に、そして夫婦愛に心打たれました。(中略)米国での安泰な生活を排して、夫の母国に嫁ぎ、排斥や閉塞感のある戦前期を経て日本のために最期まで尽くして下さったことに、畏敬と感謝の念を覚えます」

当財団事務局長の佐藤梨奈は舞台を振り返り、次のように語りました。

「兵蔵とアニーのエピソードはもちろん、兵蔵亡き後の安仁子の奮闘や葛藤、分け隔て無く人と接する姿もリアルに描いてくださいました。その生き方が、祖父母の松田竹千代や澄江を通じて私たち家族にも、生涯学習開発財団の理念にもつながっているのです。伊藤敬様を始め劇団の皆様、そして当時の安仁子や有隣園を支えてくださった「天国人」の皆様に、あらためて感謝の気持ちを捧げたいと思います。ありがとうございました」
*「天国人」は「てんごくびと」と読み、亡くなった方の総称を指す劇団による造語
舞台ラスト。天国人(てんごくびと)となった登場人物たち 舞台ラスト。天国人(てんごくびと)となった登場人物たち
タイトル戦争を語り継ぐ演劇公演 第7弾 『アニーさん』
日時2021年 3月11日(木)〜14日(日) 11時/15時 13日と14日は、有料同時配信を実施
会場名古屋市東文化小劇場
企画・構成 脚本・演出伊藤 敬 令和元年「愛知県知事表彰」 令和2年度「地域文化功労者」

*河口湖畔のアニーの別荘は「有隣園資料館」として保存されています。 2012年に登録有形文化財に指定されました。