松田妙子賞

受賞者インタビュー

第4回 2023年度 受賞者

【活動内容】
地域医療の維持に向けた「生涯現役・生涯学習」戦略
〜福島県いわき市での取り組み

【受賞者】
公益財団法人ときわ会 常磐病院 医師 尾崎章彦氏

LLメンバーズ交流会にて、財団理事長・佐藤玖美から賞状、記念盾、副賞100万円が授与された

日本各地の医師不足問題を解決に導く可能性を見る

第4回松田妙子賞の授賞式は、故・松田妙子の命日である2024年2月8日、三回忌を兼ねた第28回ライフラーニング・メンバーズ交流会の冒頭にて行われ、受賞者の尾崎章彦氏に対し、生涯学習開発財団理事長・佐藤玖美から表彰状と副賞100万円が授与された。

選考委員の張競先生(左)から参加者に紹介される尾崎氏

尾崎氏は、福島県いわき市の公益財団法人ときわ会 常磐病院の勤務医でありながら、病院だけでなくいわき市全体の地域医療維持と質の向上に取り組んでいる。若手医師の育成やベテラン医師のリクルートなどキーとなる取り組みにおいて、「生涯学習」や「生涯現役」の考え方を戦略的に用いている。さらに一勤務医の業務にとどまらず周囲を巻き込んで社会課題解決を成功に導いている。それらの点が高く評価された。

「生涯学習で自己成長できる病院」を医師確保の戦略に

日本全体の医師数は増加の方向にあるものの、地域によって格差が激しい。2018年時点の医療施設に従事する医師数は10万人あたり全国平均で247人、東京都が308人であるのに対し、福島県は全国41位の205人。中でもいわき市は167人と極めて少なかった。もともと大都市から遠く交通機関が未発達だったところへ大震災が襲い、さらに医師数格差が広がっていた。

2018年に常磐病院に乳腺外科医として赴任した尾崎氏は、翌年から、医師不足解消のためにさまざまな取り組みを始めた。まずは研修医を受け入れる基幹型研修病院の認定を受けるべく活動を開始、2021年3月に福島県から認定を受けた。22年度に2名、23年度には3名の研修医を受け入れ、24年度は10名もの学生が研修を志望。その中から選ばれた3名の研修医を、この4月から受け入れ予定だ。

地元の中学高校の授業にも現場の医師として関わり、医療従事者として地域医療に携わることの意義とやりがいを訴える活動をしている。その中から、2022年には医学部合格者が出た。

また、地方に完全に拠点を移すのをためらう医師も多いことから、「循環型勤務スキーム」を提案。都市部と地方の2拠点勤務で診療に臨むことの魅力も訴えている。尾崎氏自身も週末に帰京し、月1、2度は新宿で内科診療にあたっている。違う地域や医療機関で診療をすることは、医師にとって大事な知見になるという。さらに、若手医師のキャリアアップのために欠かせない論文執筆や学術活動を生涯教育としてサポートする。尾崎氏が指導する若手医師や医療スタッフは査読付き国際学術誌に論文を発表するまでに成長している。これらは常磐病院のブランディングにも貢献し、特に乳がん診療に関しては県内でも屈指の病院に成長しつつある。

常磐病院ではアジア地域の外国人医師の受け入れも始まっており、日本人医師との知見交流を通して双方のレベルアップを促す。全国の大学病院で定年を迎えた医師にも声をかけリクルートしている。いわきと地域医療に興味を示す医師にとっては「生涯現役」の理念を実現する場ともなる。

大震災で何もできなかった悔しさを抱えて福島に

そもそも東京出身の尾崎がなぜ福島に来たのか。千葉県旭市にて研修医をしていた2011年、東日本大震災が起きた。津波に流された人をはじめ多くの被災された方がいたが、医学部を出たばかりの自分は力不足でなにもできなかった。その悔しさもあり、3年間の外科のトレーニングは福島・会津若松の病院を選んだが、それでも納得して東京に戻れる充実感を得ることはできなかった。

福島に残り、大震災の主要な被災地の一つである南相馬で、第1回松田妙子賞受賞者の坪倉正治医師らの活動に参加していた2016年末、事件は起こった。福島県浜通りにある高野病院の高野英男院長が、自宅の火事で亡くなったのだ。高野医師は、震災直後にも完全撤退せず、同地域の医療を守るため孤軍奮闘していた。高野病院と地域医療をどう継続させるか、尾崎氏もそのプロジェクトに深く関わった。高野医師の献身には頭が下がるばかりだが、1人のスーパーマンに頼るのでは医療がインフラとして成り立たない。若手医師のリクルートや育成を継続することが欠かせないと、身にしみてわかった。自分が役立てるのはここだと思った。

2017年1月3日高野病院の支援を訴え、広野町遠藤町長と会見に臨む尾崎氏(写真左)、右は第一回受賞者の坪倉氏

尾崎氏は、乳がん専門医として同じ浜通りのいわき市の常磐病院に入る。2010年にときわ会がいわき市から経営を委譲された病院だが、高齢の医師も多い。何らかの対策を打たなければ、いずれ高野病院のような危機を迎え、患者を守れなくなるかもしれないと感じた。

受賞により、自信を持って若手の背中を押せる

気づけば福島に来て12年目を迎える。当初はこんなに長くいるつもりはなく、どこかのタイミングで東京に戻るつもりだった。しかし、震災後さまざまな課題に見舞われた福島県で、地域医療の維持と質の向上に携わる日々に充実感を覚える。東大医学部の同期生は約90名。大学から離れ被災地で仕事を続ける者は少ない。「皆が同じようなキャリアを踏む中で、自分だけこの道を歩んでいて大丈夫なのかと不安もあったが、地道な活動を評価してこの賞をいただけたことは大変うれしく励みになる。地域医療に興味を持つ若い医師たちの背中を、自信を持って押すための支えにもなる」という。

現在の尾崎氏の立場は勤務医、つまりサラリーマンだが、地域のためにできる仕事の幅を広げるにはNPOなど、なんらかの組織を主宰していた方が信頼を得やすいのも事実。単独ではなく地域一体のチームとして活動に取り組むための1歩として副賞を活かしたいという。

尾崎章彦氏 受賞の言葉

この度は栄誉ある賞をいただき、心から光栄に、またありがたく思っております。
これまで私は、自分という人間が患者や社会に最大限貢献するためには、今何をすべきか、という思いで常々仕事をしてまいりました。
東日本大震災後に福島で外科医としてのトレーニングを開始したのち、震災後の福島沿岸部で乳がんや甲状腺の診療に携わる医師が少ないことを知り、ご縁を頂いて常磐病院に乳腺外科を立ち上げました。

さらに、現地では内科や救急の医師も少ないため、最近では内科や救急も勉強してその診療にも従事しています。
加えて、震災後の健康影響を記録に残すことを重要視し、その方法論を学びながら、一つずつ論文として結果をつみかさねてまいりました。その一部は、今回の能登地震の対応にも生かされるものです。

まだ短いキャリアではありますが、絶えず変化する社会や患者に貢献しつづけるためには、生涯にわたり学びを続けることが重要であると感じていますし、そのように私自身も生きてまいりました。
それだけに今回、財団からこのような賞をいただくことができ、まさに感無量です。

松田妙子賞の理念である「Share Your Happiness!」のビジュアルをバックに挨拶される尾崎氏

最後になりますが、いつも応援してくれる家族や恩師、同僚、そして自分に生きる意義を与えてくれた福島という地に感謝を申し上げて、私の挨拶と代えさせていただきます。

松田妙子賞のページにもどる