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8. 脳神経内科の名医に聞いた 8. 脳神経内科の名医に聞いた

人生100年時代と言われるが、長生きは誰もができるわけではない。では、その秘訣は何か。脳神経内科医の霜田里絵さんは、「画家の生き方がヒントになる」と気づく。本を著した霜田さんに詳しく話していただいた。

霜田里絵 銀座内科•神経内科クリニック院長・医学博士
鬼塚忠が霜田里絵さんにインタビュー

「長生きのヒントは画家の脳の使い方にあります!」

鬼塚 本日はお忙しいところありがとうございます。先生は脳とアンチエイジングを専門にしている脳神経内科医でいらっしゃいますね。

霜田 はい。私は、銀座に脳神経内科のクリニックを開業しています。早いもので医師生活も四半世紀を超えました。日々、患者さんと接しているうちに「元気で長生きしたい」という気持ちは人間の共通課題だと思うようになりました。どうすれば長寿になるのか? 長年、考え続けてきましたが、最近、あることに気づきました。

鬼塚 何に気づいたのですか?

霜田 それは、脳の使い方が需要だということです。現代の日本人こそ男女とも平均寿命が80を超える長寿社会ですが、そうではない時代に圧倒的な長寿をまっとうした方々がいるのです。それは画家です。東山魁夷90歳、横山大観89歳、葛飾北斎89歳、ピカソ91歳、ダリ84歳、シャガール97歳、片岡球子103歳、モネ86歳、ミケランジェロ88歳などなどです。

鬼塚 すごい年齢ですね。調べると明治・大正の日本人の平均寿命は43歳。50歳に達したのは戦後すぐの1947年ですね。特に葛飾北斎は江戸時代で医療も環境衛生も整っていない時代にこの年齢まで生きたのですから驚きです。平均寿命の倍生きたのですから今の感覚だと160歳まで生きたということですね。

霜田 さらに強調したいことは、この長寿の画家たちは長く生きただけでなく、死ぬ直前まで精力的に作品を描き続けていたという事実です。

鬼塚 巨匠たちにこういう言葉を使っていいか分かりませんが、ピンピンコロリですね。どうして画家たちは長く生き、最期まで情熱を燃やし続けることができたのでしょうか?

霜田 画家の長寿を科学的に捉えるならば、「テロメア」がヒントになると考えます。テロメアとは2009年にノーベル生理学・医学賞を受賞したエリザベス・ブラックバーン博士を中心として研究が進んでいるもので、細胞の中にある染色体の端に存在すると言われています。テロメアは細胞分裂を繰り返すたびに短くなっていきますが、逆にその長さを伸ばすことができれば老化を遅らせることができます。テロメアの長さはDNAを構成する塩基対の数で表され、生まれた時は10,000塩基対あったのが、35歳で7,500になり、65歳で4,800となります。これが2,000塩基対になるとこれ以上細胞分裂できなくなります。

鬼塚 急に医学的な話になりましたね。つまり、画家たちの脳はこの塩基対の数が減らないということですね。

霜田 その可能性はありますね。実際、1958年に89歳で逝去した横山大観の脳は東京大学医学部で病理解剖され、執刀した吉田富三教授によれば、加齢により進む脳の萎縮の程度が60歳前後で、重さも日本人男子の平均を上回り、血管には動脈硬化は見られなかったそうです。脳は驚くべく若さを保っていたということです。

鬼塚 具体的には画家の何を学べばいのですか?

霜田 規則やモラルから自由であるということでしょうか。画家には当然ですが定年退職がありません。外来で、特に男性によくみかけるのですが、定年退職を迎え、「燃え尽き症候群」の方が多い。人生には本来、定年という節目などないのです。一定の年齢が来ればペースを落としていいとか、時が来たからもう終わりとか考えません。時間的制限は命の期限まであるのです。

鬼塚 具体的な画家でいうとどういう話になりますか?

霜田 例えば東山魁夷先生は当時の常識でいう定年を過ぎた61歳のときにドイツ・オーストリアをおよそ5か月も旅し、この旅で描き貯めたスケッチをもとに、帰国後ますます精力的に制作に打ち込みました。しかも洋式の建物や石造りの建物を日本画の技法で描くという新たな挑戦もしたのです。1972年64歳のときには、突然モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調第2楽章の旋律が聞こえ、1頭の白い馬が針葉樹の中に現れる幻想を見たそうです。これまでにない新しいイメージをテーマに、本制作12点、習作6点、計18点の「白い馬の見える風景」を発表。約一年間のうちに連作を手がけました。65歳になると新たに水墨画の世界に入っていきます。唐招提寺の襖68面と床の間、鑑真和上坐像の安置される厨子の内部の装飾という非常に尊い重要な仕事を依頼され、障壁画制作のために各地を旅し、風景の写生に時間を費やします。この仕事は72歳の時に無事に奉納。およそ7年かけて鑑真和尚と向き合い、全精力を傾けて仕上げました。その後も晩年まで風景画家として精力的な制作を続けています。定年という概念がないからいいのでしょうね。

鬼塚 すごいですね。西洋の画家でいうとどうですか?

霜田 ピカソもまた最晩年までもの凄いエネルギーで制作し続けました。陶芸に挑戦したのは65歳。78歳でマネの代表作「草上の昼食」をもとにして、油彩、パステル、デッサンと合わせ140点の連作を描き始めます。そして79歳でジャクリーヌ・ロックと南仏で結婚。そこでさらに勢いづき、91歳まで制作を続けます。定年だからちょっとゆっくりとなど考えないのです。むしろ60以上になって忙しさを謳歌しています。ちなみにピカソの最期の言葉は往診に来た独身医師に「女っていいものだよ」というものだったそうです。

鬼塚 死ぬまで創作意欲に燃え、女性好きだったということですね。60歳以降の生き方に鍵がありそうですね。

霜田 そうです。楠木新さんの著した『定年後』(中公新書)には60歳定年の場合、60歳からの自由時間なんと8万時間もあるそうです。20歳から60歳まで40年間勤めた総労働時間より長いのです。この8万時間に脳へ刺激を与え続けることが重要です。かつては脳の細胞は齢とともに衰えると思われていましたが、1998年にスウェーデンの研究者らによって「海馬」という記憶に関わる重要な部分が年齢を重ねても新生されることが報告されました。画家たちがそういうことを知っているとは思いませんが必然的に脳を刺激してきました。

鬼塚 とはいえ、私たちは画家ではないのですがどうすればいいでしょうか?

霜田 画家はとにかく1作でも多く描きたいという気持ちを持ち、常に新しい挑戦を続けてきました。そういう生き方を私たちは学んだ方がいいと思います。画家を職業としようがしまいが「生きている限り創作を続ける精神」を私たちはヒントにすべきでしょう。絵を描くのもいいでしょう。また、自分の好きなことに、新たに挑戦をしていくことでしょう。

鬼塚 他に画家に学べることはありますか?

霜田 規則や常識に縛られないということです。先に述べた定年退職もそうです。世間の規則や常識は好き勝手に解釈すればいいのです。横山大観先生も日本画と洋画を区別せず自由に描いていました。葛飾北斎は生涯93回の引っ越しをしています。自由だから「東海道名所一覧」のような名作が生まれたのです。自由に生きることでストレスが軽くなり生きる情熱を持って生きられます。その結果、テロメアを短くせず、年齢を重ねてもさらに活性化することができるのです。

鬼塚 本日は貴重なお話をありがとうございました。

『一流の画家はなぜ長寿なのか』(サンマーク出版) 霜田里絵著
「長生きした人たちには共通の理由があった!」
脳神経内科医の視点から解き明かす長寿の秘訣

霜田里絵(しもださとえ)
順天堂大学医学部卒業後、脳神経内科医局に入局。順天堂大学病院他、都内の病院勤務や研究生活を経て2005年に銀座内科•神経内科クリニックを開設。日本神経学会専門医。日米の抗加齢医学会の専門医。脳とアンチエイジングを専門とする。
著書:『「美人脳」のつくりかた』(マガジンハウス)、『脳の専門医が教える40代から上り調子になる人の77の習慣』(文藝春秋)、『一流の画家はなぜ長寿なのか』(サンマーク出版)など多数。

鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html

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